コロナ禍以来、4年半トルコに戻る機会がなく、トルコがだんだん外国だと感じ始めた頃、イスタンブル災害マネージメントエキスポに招聘されました。
防災といえば、災害リスクや対策の技術的なことが一番に思い浮かびますが、夫と私は被災者の経験を語ること、そしてそれを聴くことの重要さを伝えたく参加することにし「Sharing and Listening to Survivor’s Memories:The Socio-Cultural impacts of Earthquake Narratives in Türkiye and Japan」というタイトルで話しました。講演の最初に、トルコ語で話した一部を日本語訳にしたものを書きます。
「社会の防災レベルを高めるためには、専門家だけでなく、一般の人々も防災に関心を持つべきだと、私たちは考えています。そのためには、防災の技術やデータだけでなく、被災者自身が語る経験談が人々の心を動かすのを知っています。今回、私たちは、次世代が被災者の記憶に耳を傾けることの重要さを伝えたいと思います。」
冒頭で述べた「記憶」について少し説明すると、「記憶」は本来個人的なものとしてとらえられていますが、家族や国民などのさまざまな集団にも想定する概念である「集合的記憶」に繋がります。
「集合的記憶」の研究者であるドイツのヤン・アスマンとアライダ・アスマンは「集合的記憶」を2つに分類しました。「文化的記憶」と「コミニケーション的記憶」です。
「文化的記憶」は、文学や絵、モニュメントなどで長期的保存が可能です。それに対して「コミニケーション的記憶」は、人から人へと口頭伝承により継承されるため短期保存になります。
しかし、いくら素晴らしい文化的記憶が存在しても、次世代がそれに関心をもたなければ意味をなしません。同様に、口頭伝承の場合は、人からひへと直接受け継がれるので、語り継ぐための社会制度やメカニズムが整えられなければ、長期にわたり保持されることは不可能です。
つまり、次世代が起こった災害に関心を持つことで、その記憶は継がれていきます。そのためには、被災者が記憶を語り、それを聴く場が必要です。そして、当事者である被災者は自身の経験したことを語りたがっています。
この記憶調査のため、1999年に起こったマルマラ地震(イズミット地震やコジャエリ地震とも言われる)の被災者にインタビューしに、私たちは2018年の夏、震源地であるギョルジュクへと向かい、直接被災者にインタビューし、経験したことを聴きました。
実はその前に、トルコの研究者たちから「そんなこと聴いてどうするのか」「被災者は、語りたがらない」「被災者は、上手く語れない」などと否定的な言葉を聞いたので、きちんと聴きとりができるか心配していました。
ところが、現地に行き最初に、地震を経験したか、経験した人を知っているかと尋ねたところ、すぐに一人の男性を連れてきてくれ、その人は辛い経験を語ってくれました。
その他、公園でもカフべハネ(男性が集まってコーヒーやお茶を飲みながらバックギャモンやトルコ風麻雀をする場所)でも、初めて会った外国人の私に、彼らは雄弁に語ってくれました。「語り部」でもないその彼らの語りには、文学的要素が多く含まれていて驚いたのをよく覚えています。
彼らの話を聴いて、トルコの被災者は記憶を伝えたい、聴いてほしいのだと実感しました。そして、この記憶継承こそ、防災の重要な一つのファクターであり、私たちは次世代へとつなげていかなければならないものだと確信しました。
マルマラ地震の被災者の語りと、阪神・淡路大震災で被災した語り部の語りを比較した私たちの講演は、2日目の朝一の10時半からだったので、多くの聴衆を予想していませんでした。ところが、始まってみると、満席になり最後は後ろに立っている人だかりができていました。
これからまだどんどんと増えていきました。 |
講演の間中、多くの人が何度もスクリーンを写していました。そして、終わってからは、レジメを欲しいと何人もの人からリクエストがありました。私たちの発表が、トルコの防災マネージメントに新しい視点をもたらすことができたのであれば、大変光栄に思います。