2024年9月30日月曜日

Eminönü(エミノニュ)で見つけた新しい場所:〜Beta Yeni Han:かつて焙煎したコーヒーを挽いて販売した場所〜


グランドバザールからは、いつもぶらぶらと店を見ながら、エジプシャンバザールまで坂を下りて行きます。

エジプシャンバザールから、ルシュテムパシャモスク方面に行く時に、通りの奥に今までになかった場所が目に入り、友達と入ってみました。

この場所はEmin Han, Tahmis Han, Hasırcılar Han ve Yeni Han といろんな名前で呼ばれていた場所です。Hanという言葉は、旅行者が宿泊や、通例であれば飲食の提供を受けることができる施設を意味しますが、仕事場という意味のHanもあるようです。

今回発見したHanは、どうやら後者のようです。17世紀初頭に基礎が作られ、2階建てだったようですが、地震と火災によって上層部が被害を受け、何度も修復を受けましたが、現在は1階部が残っているだけです。

真ん中にイートインスペースがあり、周りに茶葉を売っている店や、コーヒーハウス、レストランなどが周りにあります。

ちょうど休憩したかったので、トルココーヒーとバクラヴァを注文しました。

その後、茶葉を販売している店に入ってみました。

見たことのないような紅茶葉が売られています。

色んな種類のティーバックが一袋ずつ売られているは、ドリンクバーのようです。

販売だけでなく、お茶の歴史も展示されていました。

展示によれば、お茶は紀元前2737に中国が起源だとのことですが、どうやら伝説のようです。「ある中国の伝説では、お茶の起源は、紀元前2737年、熟練した科学者でもあった時の皇帝神農が偶然発見したと伝えられています。庭でお湯を飲んでいた時、野生のチャの木の葉が偶然鍋に入ってしまったのです。神農はいたくその「飲み物」を気に入り、チャの木の研究を始めることにしました。この伝説によると、神農はチャの木の薬効も発見したと伝えられています。」https://www.mightyleaf.shop/history-of-tea 

日本では、1211年に栄西の書いた本により、お茶の人気が広がったとも記載されています。これについても少し確認してみたところ「1187年宋に渡った栄西禅師は4年後に帰国して茶の種子を持ち帰り、栽培、製茶、貯蔵しその飲み方を広めました。そして1211年日本初の『喫茶養生記』を著しました。医学書として書かれた物で薬としてのお茶の効能を述べています。」 https://www.shizuokaen.net/green/o_rekishi.html

そして、1924年にトルコの黒海地方リゼで、紅茶栽培が始まったと記載されています。 

茶葉で世界地図が描かれているのが興味深いです。それぞれのお茶が記載されています。日本は「煎茶」が書かれています。

お茶のことばかり書いてしまいましたが、紅茶葉販売のお店の地下に、コーヒー豆を直火で焙煎して挽いていた場所がありました。

説明には、コーヒ販売を意味するTahmisという言葉から、ここがTahmis Hanとも呼ばれていたことがわかります。そして、この場所に喫茶店があったそうです。

そのせいでしょうか、いただいたトルココーヒーは大変美味しかったです。

2024年9月28日土曜日

チャナッカレの30km南にあるトロイ遺跡 〜ホメロスの叙事詩『イリヤス』に登場する伝説の都市〜

16年間のトルコ在住時に、一度もトロイ遺跡を訪れる機会がありませんでしたが、今回、やっとその願いが叶いました。往復で6時間以上かかる道のりの1日観光に、友達が連れて行ってくれました。日本では、考えられない持てなしです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%8C%BF
トロイ遺跡に行くには、滞在先のエディルネからまず、チャナッカレへ行きます。チャナッカレはトルコの西北部にあり、エーゲ海とマルマラ海に接し、ヨーロッパ側のゲリボリ半島とアジア側の間にあるダーダネルス海峡にかかる1915橋を渡ります。1915橋は、全長は3,563m・幅45.06m・橋脚の高さは318mで、2022年3月18日の完成時点で、日本の明石海峡大橋を抜いて世界最長の吊り橋になりました。

チャナッカレから南に30kmほど行くと、トロイ遺跡があります。トロイ遺跡はホメロスの叙事詩『イリアス』に登場するトロイア戦争の舞台となった都市です。トロイア王国は長らく神話上の存在だと思われてきましたが、考古学者シュリーマンがトロイ遺跡を発掘したことで、実在した可能性が高いことが示され、1998年には世界遺産に登録されました。

ギリシャ軍がトロイア王国に攻め込んだトロイア戦争の際に作戦のために使われた有名なトロイの木馬

その後の考古学者による発掘で、トロイ遺跡では紀元前3000年ごろに始まる初期青銅器時代(第1市)から、紀元前350~400年頃のローマ時代(第9 市)まで、時代ごとに特徴が異なる9層にわたり積み重なった都市の遺構が発見されました。

円形劇場


各層の跡

トロイ遺跡の隣にトロイ博物館があります。階ごとにテーマがあり、トロイ遺跡から発掘された2000点にものぼる出土品が展示されています。

紀元前5世紀の「操り人形」と「三猿」。古代の「三猿」は目と耳と口を覆っていませんが、この時代に「三猿」があったのに驚きました。

 3匹の猿というモチーフ自体は古代エジプトやアンコール・ワットにも見られるもので、シルクロードを伝い中国を経由して日本に伝わったという見解があります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%8C%BF

トルコの伝統芸能に「Ozan(オザン)」と呼ばれている吟遊詩人がいました。日本での「琵琶法師」と同じように、琵琶に似た弦楽器を弾きながら聴衆に、物語(叙事詩)を語ります。文字がなかった時代、過去に起こった重要な出来事を口頭で後世に伝えていく貴重な伝統でした。私のトルコでの研究もこの口頭伝承文芸なので、紀元前10-6世紀に、もうすでにオザンがいたのこに感銘を受けました。

紀元前10-6世紀オザンのブロンズ像

素晴らしい博物館でしたが、一つだけ、おかしいと思った展示が目に止まりました。


 海産物の展示の「あれ?」に気が付いたでしょうか?さて、さてどこでしょう・・・ 見つかりましたか?

2024年9月24日火曜日

4年半ぶりのトルコで驚いたこと

1996年から2012年まで、トルコに滞在していた間、国内旅行には長距離バスでの移動がほとんどでした。バスでの移動中、休憩所でのトイレは、入り口でお金を払って入りました。有料の割に、トイレの中はそんなに綺麗ではありませんでした。

ところが、今回友達夫婦と出かけた時、休憩に入ったガソリンスタンドのトイレに驚きました。ドアの横にある手のマークに手をかざすと、自動にドアが開き、出る時にも同じようにして出ます。トイレの中は、どこもかしこもピカピカ! そして、無料です。

手を洗う時にも、涙のようなマークに手をかざすと、石鹸が出てきて、川のようなマークに手をかざすと、乾かす温風が出てきます。水が出るのも、全て自動! コロナ禍で、どこにも触れなくてもいいように変わったそうですが、以前とのあまりの変わり様にただただ驚くばかりでした。 

そして、ガソリンスタンドに隣接しているマーケットに「ONIGIRI」発見!値段は一つ79.90TL(日本円で約340円)高いです。サーモン照り焼き、カリフォルニア、ツナの三種です。売られてはいますが、買う人はいるのでしょうか?

そもそも「ONIGIRI」を「おにぎり」と読めるトルコ人が何人いるのかと思うと不思議です。というのも、トルコ語で「ONIGIRI」の「I」と「İ」は別の文字です。前者は「ウ(ウを発音する時の唇をもっと左右に引く)」で、後者は「イ」と発音するので、「ONIGIRI」をトルコ語読みすると決して「おにぎり」と読めないからです。日本の「KIRIN」を「クルン」と読むのですから・・・

2024年9月22日日曜日

エディルネNo.3〜以前のギリシャ国境やシナゴーグなど名所巡り〜

 

             友達のガイドでエディルネツアー

1.以前のギリシャとの国境
オスマン帝国末期のギリシャとの国境は、現在トルコ領エディルネのメリチ川にかかる橋(1833年に第30代皇帝マフムト2世により基礎工事が始まり、第31代皇帝アブドゥルメジドの時世に完成。長さ263m、幅7m、12個のアーチに13本の橋脚)の真ん中でしたが、ローザンヌ条約(1923)で、ギリシャから戦争賠償として返還されたカラアーチ地区ががトルコに併合されたことで現在の国境になりました。この条約を記念して建てられたローザンヌ博物館は、カラアーチ地区にある旧エディルネ駅の側にあります。

2.旧エディルネ駅(カラアーチ駅)
旧エディルネ駅は、1971年に新エディルネ駅の開業に伴い閉鎖されました。1998年から2017年まではトラキア大学の学長棟として使用され、2017年以降は同大学の美術学部として使用されています。トルコとギリシャの国境近くに位置するこの駅舎は、1974年のキプロス作戦の際に前哨基地として使用されました。

 

3.トルコ最大のシナゴーグ
エディルネのカレイチ地区には、トルコで一番大きなシナゴーグがあり、ヨーロッパでは3番目に大きいそうです。今回初めて、シナゴーグの中に入りました。



4.セリミエ・モスク
エディルネで一番有名なのは、2011年にユネスコ世界文化遺産に登録されたセリミエモスクです。オスマン帝国第11代皇帝セリム2世の命により、1568年から1574年迄の6年をかけて当時80才の高名な建築家ミマール・スィナンによって建てられたオスマン建築の最高峰のモスクです。以前、2回行ったので、今回は遠目から眺めるだけにしました。

橋の向こうに見えるのがセリミエ・モスク

5.アリパシャ・パザール
アリパシャ・パザールは、1569年に建築家ミマール・シナンによって建てられた屋内バザールで、全長300m、現在128店舗が入ったエディルネ市民に親しまれている商店街です。

6.キャラバンサライ
このキャラバンサライは、オスマン帝国第10代皇帝スレイマン1世の娘婿である最高官吏リュステムパシャが建築家ミマールシナンに委託し1560年に建てられた隊商宿なので、リュステムパシャ・キャラバンサライと呼ばれていて、現在はカフェとホテルとして利用されています。



2024年9月20日金曜日

エディルネNo.2~名物レバーのフライYaprak Ciğer Tava~

 

手前にあるのがヤプラック ジーエル タヴァ
エディルネ名物といえばYaprak ciğer tava(ヤプラック ジーエル タヴァ)と呼ばれている、レバーのフライがあります。牛のレバーのフライですが、Yaprak ciğer tavaは、直訳すると「木の葉のレバーフライ」と言われるぐらい、レバーを薄く切ったものを揚げた料理です。注文すると、トマトやスライス玉ねぎ、揚げた辛い長いピーマン、辛いソースはサービスで付いてきます。

以前も、エディルネに来たときに食べましたが、柔らかいレバーをどうしたら、こんなに薄くスライスしてフライにできるのか、不思議に思います。

 

友達からYaprak ciğer tava(ヤプラック ジーエル タヴァ)とköfte(キョフテ:トルコの肉団子)と、羊肉のBöbrek yatağı(ボブレク ヤター)を注文したらいいと勧められました。


Böbrek yatağı(ボブレク ヤター)は、日本語に訳すと「腎臓のベッド」という変わった名前になります。どうしてこんな名前になったのか理由があるはずですが、由来はわかりません。名前に「腎臓」がありますが、腎臓料理ではなく、羊肉を炭火訳した料理です。

腎臓の周りにある脂が一番美味しいそうで、焼いても脂は溶けてしまわず、お肉も柔らかかったです。



2024年9月19日木曜日

エディルネNo.1~バザールで目を引いたもの〜

 

友人宅からすぐそこがギリシャ
トルコについてから直接、友達夫妻の住んでいるトルコ西端の街エディネに来ました。ここエディルネは、オスマン帝国時代にイスタンブルが首都になる前、100年間第二番目の首都でした。ブルガリア(10km)とギリシャ(5km)国境のすぐ近くで、彼らの家からギリシャが見えます。

着いた日はパザールの日だったので、覗きに行きましたが、そこで目を疑いました。Tシャツが1枚100TL! 

私が住んでいた頃100TLは、10000円ぐらいに換算していたので、Tシャツを見て、すごく高い!と思いましたが、今の100TLは450円ぐらい・・・それでも、パザールでこの値段は、以前より高く感じます。

パザール周辺にはブルガリアナンバーの車がもたくさんありました。トルコの方が安いので、ブルガリアから国境を超え、ここに買い物に来ているそうです。国境が近いと便利です。

フレッシュジューススタンドに書かれているブルガリア語

馴染みのあるタヒン(胡麻ペースト)はもちろんのこと、ビーナッツバターやピスタチオバターも売られていました。

 

ピンク色のオリーブを初めて見ました。ビーツで色付けしていると書いていますが、本当でしょうか?


一番驚いたのは、野菜や果物が本当に買った重量かどうかチェックする秤が置かれていたことでした。きっと、家に帰って不審に思い、量ったところ少なかったというようなことが続いたのでしょう。何人かの人が、買った袋を乗せて確認していました。
私がいた頃にはなかった物でした。
 

トルコに戻れなかった4年半で、パザールも変わりました。