2017年9月1日から4日までは、イスラム教のクルバンバイラム(kurban bayramı:犠牲祭)でした。
以前のブログで、断食月明けのシェケルバイラム(şeker bayramı:砂糖祭り)について書きましたが、イスラム教ではこの二つが、二大行事です。日本でいうと、お盆とお正月のようなものです。
この犠牲祭は、イスラム暦12番目の月の10日から4日間です。アッラーに羊や山羊や牛など、四つ足の動物を生け贄とし、神に感謝の気持ちを捧げます。また、その肉は1/3ずつに分けられ、貧しい人たち、ご近所さんなどに配られます。残りの1/3は家族で頂きます。私もイスタンブルに住んでいたころ、犠牲祭にどこにも行かずにいる時には、ご近所さんがお肉を持ってきてくれました。
今年のクルバンバイラム初日に、親しくしているご夫婦の弟さんご家族のブランチに、私も招待され一緒に行きました。シェケルバイラムの時と同じように、バイラム初日の朝ご飯(またはブランチ)は、とても大切で家族や近しい人と共に頂きます。
その日、弟さんは早朝にイスタンブルからヤロヴァ(Yalova:マルマラ海の南東にあり、イスタンブルから93キロほどで、車で1時間40分ぐらいかかります)まで行き、そこで羊を屠り、その肉を配り戻って来られたそうです。
バイラムのブランチ(朝ご飯)は、いつもよりご豪華です。何種類ものチーズ、オリーブ、サラダ、卵、ボレキ(börek:春巻きのような皮を何層にも重ねて、中にほうれん草やチーズ、ポテトなどを入れて焼く)、シガラボレイ(sigara böreği;春巻きのような皮にチーズを巻いて、揚げたもの)、パプリカの中にチーズを詰めたもの、フライドポテト、自家
サラダ、チーズ、オリーブ、パプリカの詰め物、ピーナツバター |
カイマックとチェリージャム |
ポテトのボレキとシガラボレイ |
そして持って帰った羊のお肉も登場します。これを感謝して、有り難くいただきます。場所があれば、昼からマンガル(バーベキュー)をして焼いて食べることも多いですが、イスタンブルの町中の家では、無理です。
羊のお肉をソテーしたもの |
たくさんのご馳走をいただき、その後もトルココーヒーや果物が出て来てお腹が一杯になり過ぎたので、辺りを散歩することになりました。
日本では珍しい桑の実 |
数時間歩きカフェで休憩し、またそこでもデザートを食べ、家に戻りました。さてでは、遅くなったので、お暇をと思っていたら「晩ご飯を食べてからじゃないと帰さないわよ」と言われ、眼が点になりました。まだお腹が空いていません。
押し問答の末、どうしてもということで頂くことになりました。また、どんどんと料理がテーブルに並び始めます。前の日から用意してくださっていたようです。
トマトスープには溶けるチーズをいれます |
作るのがとても面倒なイチリキョフテ |
インゲン豆の一種をトマトとオリーブオイルで煮たもの |
ドルマと羊のレバーのソテー |
食事の前に「クルバンバイラムのお肉は、皆で頂いてこそ意味があるのよ。ちゃんと食べて感謝しなくちゃ」と、何度も耳にしました。
そして運ばれてきたのが、羊のレバーソテー。「こんな新鮮なレバーは、なかなか口にできないから、たくさん食べて」と言われ、フォークをのばしました。私は、基本的に内蔵系も好きで美味しく食べますが、このレバーを口に入れ、噛んだ瞬間に臭いが鼻に抜け、一瞬ウッとなりました。新鮮なのに、何故臭いが… トルコでいろんな場所でレバーを食べましたが、こんなに臭いがしたのは初めてです。臭いで食べられないと思ったものは、子供の頃に食べた鮒寿司に次ぐものでした。
「どうしよう… 食べられない」でも、食事の前に何度も聞いた言葉が、耳から離れません。生魚が食べられないトルコの友人が、日本に来て知り合いの家で出されたお寿司を必死になって飲み込んだという話を思い出しました。
「どうしよう…残そうか…いや、失礼だわ。食べなければ。でも、どういう方法で食べられるか…」必死で考えました。「小さく切って、レモンとザクロ酢を一杯かけて、鼻から息を吸わないで、少し噛んで飲み込もう」そう決心してお皿にあった、二かけのレバーを食べました。
やっと食べ終わると、もっとどうぞと言われましたが、さすがに食べられません。もうお腹も一杯で、何も口にできない状態でした。その後も出て来たデザートは、どう考えてもお腹に入る余地はありませんでした。残念ですが…
手作りのデザート |
食事が終った時点で、夜更けに近い時間になり、帰る間際には残ったドルマやイチリキョフテなどをどっさりお土産にいただき岐路に着きました。
食べ続けた一日でしたが、こうしてシェケルバイラムやクルバンバイラムに、家族や親しい人たちと一緒に過ごすことは大切な意味があると思いました。失ってはいけない貴重な時間です。そんな集まりに呼んでもらい、トルコの人たちの暖かさにふれた一日でした。