エチオピアで飲まれていたコーヒーがアラビア半島に渡り、それがエジプトに入りトルコ食文化にとって不可欠になったのは、16世紀中頃で、さほど昔のことではありません。オスマン朝第10代スレイマン大帝の時代です。
『スルタンの台所〜15,16世紀のオスマン宮廷料理』(Stefanos Yerasimos 'Sultan Sofraları〜15. ve 16. Yüzyılda Osman Saray Mutfağı')という本によると、1554年にイスタンブルで最初のコーヒーを飲ませるカフェ(カフヴェ:kahve/kahvehane)がオープンしたそうです。しかし、宮廷に17世紀初頭の台所仕入帳にもまだ見当たらなかったようです。17世紀中頃になり、宮廷ではコーヒーを入れる専門家である、カフヴェジ(kahveci)が登場します。
ここで、このコーヒーハウスのカフヴェについて、少しお話したいと思います。先ほどの話から、このカフヴェはヨーロッパのカフェにはるかに先行していたことが分かりますね。コーヒーもカフェもオスマン帝国からヨーロッパに入っていきました。『食文化〜その歴史を通して』(Murat BELGE "Yemek Kültür~tarih boyunca")という本には、ヨーロッパにコーヒー文化が広がったのは、オスマン軍が第二次ウィーン包囲に失敗した後の、テントの中に残っていたコーヒーが元になったと伝えられていると、書かれています。
さて、このカフヴェの広がりとともに、町内ごとにカフヴェができ、男性の集う社交場としてその地位が確立されていきます。イスタンブルのような大都市には、それぞれ特徴のあるカフヴェができました。私の専門的に研究して来たトルコの講談や落語と呼ばれている一人話芸のメッダー(meddah)が、メッダー噺を演じるカフヴェもありました。