2025年10月22日水曜日

これ、な〜んだ?

 

 
上の写真に写っているのは、何だと思いますか?

トルコ語でHünnap(ヒュンナップ)と言う果物です。

緑と茶色のものが写っていますが、熟れてくると茶色になります。熟れるといっても、実が柔らかくなるのではなく、甘さが増します。噛むとカリッという音がして、ジューシーではない(かといってパサパサでもありません)リンゴのような食感です。ほのかに甘く、美味しいです。

さてこのへんで、種明かしをしましょう。これは「夏芽(ナツメ)」です。よく、デーツと言われるナツメヤシと間違えられますが、全くの別物です。 最初、私も混同してしていました。

日本語で「夏芽」という名前が付いたのは、夏に芽が出るからだという説があります。自宅近くの高級なデリカテッセンにドライナツメが売られていて、そのキャッチフレーズに「楊貴妃も好んで食べた」と書いてありました。 ナツメを食べると美人になれるのでしょうか。

写真のナツメも、トルコの友人宅の庭に木があり、たくさんなっていました。中国のナツメとは違い丸い形です。

友人宅の庭にあるナツメの木  

たわわになっているナツメの実

ナツメは、韓国料理の参鶏湯のチキンの中にも入っているように、薬膳としても使われます。そしてまた、漢方薬にも使われています。漢方では「大棗(たいそう)」と呼ばれ、葛根湯を初め、さまざまな漢方薬の処方に含まれ、胃腸を整えたり、精神を安定させたりする効果が期待される果実だそうです。こんなにすごい効果があるのなら、17年のトルコ滞在中にもっと食べておけばよかったと後悔しました。

今回帰国してからも食べたくなりましたが、生のナツメはみたことがありません。どこかで売られていないか探すと、ネットで長野産が買えることが分かりました。日本で、このナツメが食べられる!と喜んだ私に、あることがよぎりました。

北信の山小屋に行くたびに、農家さんの野菜直売所に行きます。珍しい野菜や、関西では買えないような新鮮な野菜が売られています。 実は、数年前に、その店で偶然にある農家さんのHさんと知り合い、それから毎年夏になると、とても新鮮な野菜を直接買いに行き、トルコ料理を作るのが最大の楽しみになりました。

そこで、そうだ、Hさんに聞いてみようと思い、連絡したところ「直売所で昨日見たよ。送ってもらえるかも」と返事がありました。 大喜びし、すぐに電話をしましたが「直接買いに来て、ご自身で送ってもらいます」と言われました。「関西からなので無理です…」としょぼくれた返事をしたら、先方も大層気の毒がってくれましたが、やっぱりできないとのことでした。

Hさんに、ダメだったことを知らせると、何と「じゃ、買って送ってあげる」と言ってくレました。嬉しいー!! こんなに嬉しいことはありません。日本で初めて、貴重なナツメが食べられる!!  

Hさんは、早速買いに行き送ってくれ、次の日に着きました。

Hさんが送ってくれたなつめ
トルコのより小ぶりですが、美味しいです。たくさん買ったので、生で食べる以外に、コンポートにしたり、ドライにもしようと思っています。サワードリンクと書いてあるのが気になりレシピをみたら、ナツメと砂糖か氷砂糖、そして好みの酢を1:1:1の割合で漬け込むと書いてあります。1年経たないとエキスが出てこないようですが、待つのも楽しみかもしれません。他には、甘露煮もできるみたいです。このようにたくさんレシピがあるので、色々な方法で長く食べられるようにしたいです。

楊貴妃のようになれるかしら…。

2025年10月17日金曜日

2025年トルコでたくさん食べた無花果

 

トルコで食べた無花果
トルコはフルーツが美味しくて安い。バザールでは、キロ単位で買えるので、特に大好きなサクランボをお腹がいっぱいになる程食べていた。それなのに今年は、サクランボが不作で好きなだけ食べられなかったとあちらこちらから聞いた。暑さのせいなのだろうか…。

ところが、無花果は別だった。今回滞在していた友人宅とご近所さん宅の両方に無花果の木があり、バケツいっぱいの収穫になった。日本では、無花果をお腹がいっぱいになるまで食べようと思うと、とても高額になるのに、友人のおかげで初めてお腹がいっぱいになるぐらい食べた。

無花果といえば、日本では、トルコ産のドライフィグ(無花果)が売られているのをよく目にする。Doç.Dr.Nurten Günalの「Türkiye'de incir kültürü(トルコ における無花果の文化)」という論文では、無花果はトルコ全土で生産されているが、圧倒的にエーゲ海地方と地中海地方で採れ、葡萄に次いで多くドライフルーツにされているとの記載がある。やはりよく採れるのだろう。https://dergipark.org.tr/tr/download/article-file/198685

論文になるほどの無花果熱が気になり、少し調べてみると、無花果は食用としてだけではなく、文化や宗教にも根付いている奥の深い果物として、トルコでは位置づけられている。

それが分かったのは「İncir Tarihçsi(無花果の歴史)」というタイトルの記事に、こう書かれていたからだ。「無花果の木とその果実は、キリスト教やユダヤ教など、主要な宗教で象徴として用いられ、頻繁に言及される。コーランの第95章は「イチジク」と名付けられ、その中1-4節では、「イチジクとオリーブにかけて、シナイ山にかけて、この安全な国(マッカの地)にかけて、確かにわれらは人間を最も美しい姿に創った」と記されている。 (第95章の日本語訳は『日亜対訳クルアーン』田中孝監修、2020年9月より)この聖なる木の果実は、人間の健康にも奇跡的な効果がある。そのため、古代アナトリアとエーゲ海のすべての文明に存在する無花果は、何世代にもわたって豊穣と繁栄の象徴となってきた。」(İncir Tarihçesi, Buharkent Kaymakanlığı, http://www.buharkent.gov.tr/incir-tarihcesi)

なるほど奥の深さが伝わってくる。 

さて、実物の無花果に話を戻すと、トルコの無花果は皮が緑っぽいのと濃い紫のが売られている。日本で見かけるドライフィグは、緑っぽい皮の方が使われる。どちらも生食できるが、紫の方が皮が薄くて、中身の赤色が濃く皮ごと食べても違和感がない。

友人宅で山ほど採れた無花果
友人たちはいちいち中を割って、虫がいないかどうか確認してから食べる。私は面倒なので「知らぬが仏。タンパク質、タンパク質」と言いながら、そのまま食べた。トルコの無花果は中身の粒が細かく柔らかで、とても美味しい。どうして今まで触手が動かなかったのか…。やっぱりトルコはフルーツが美味しい。  

2025年10月9日木曜日

亡くなった人への祈りを促すスイーツスタンド Hayır Lokuması(ハユル・ロクマス)

 

亡くなった人への祈りを促すスイーツスタンド ハユル・ロクマス(Hayır Lokuması)
甥っ子1を帰国させた同じ日に、私は国内線で地中海とエーゲ海の境目の街Fethiye(フェティエ)へ飛んだ。そこには、私がトルコの家族だと思っている大切な人たちがいる。その人たちは今年の春に突然、計り知れない悲しみに包まれた。同じ悲しみを抱えている私は、どうしてもお悔やみを言いたかった。

会ってもすぐには言葉が出ず、ただギュッと強くハグした。私が何を言いたかったのか、彼女には伝わったと思う。来てよかった。

数日後その場所から、私たちはあることのため車で、地中海の町フィニケへと移動することになった。その途中、休憩したくて小さいけれど有名なリゾート地のカシュに寄り、カフェでコーヒーを飲んでいた。

地中海の町カシュ
カフェのザクロの木

そこに突然、二人の男女が台を出して何か作業し始めた。(下の動画参照)どうやらLokuma(ロクマ)という、揚げ菓子を作るようだ。とても軽い生地を揚げてシロップにサッと浸け提供する。口の中に入れても、まだ表面はカリッとしていてシロップにもどっぷり浸かっていないので、油であげているけれど、軽い口当たりのお菓子だ。好みでシナモンを振りかける。丸いのや、ドーナツ型のものもある。

 


友人と「売るのかな?それとも誰かが亡くなったのかな?」と話していた。 着々と準備ができつつある中に、通りかかりの人が「いくらですか」と尋ねた。「ハユル・ロクマス(Hayır Lokuması)です」と答えたのが聞こえた。

ハユル・ロクマス(Hayır Lokuması)について簡単に説明すると、この揚げ菓子は、 宗教的な祝日、結婚式、葬儀、メヴリット(イスラム教の儀式)などの特別な日に、慈善と功徳を得る目的で配られる。この伝統はオスマン帝国時代から現代に至るまでの礼儀であり、配る側と受け取る側の双方に精神的な安らぎと社会的連帯をもたらすと言われる。願いが叶ったときや、子供が産まれた時、披露宴や、割礼式どの慶次にも配られるが、多くの場合、弔事に配られる。

故人の魂のために配られるロクマは、その魂が安らかに眠り、功徳が増すために行われる。そして、ロクマを食べる人々の祈りは、亡くなった人の魂に功徳をもたらすと言われている。大切な身内を亡くした家族は、業者に注文し(あるホームページには750人前から5200人前までの注文票が記載されていた)ハユル・ロクマスを道行く人に配ってもらう。

以前にも偶然通りかかった時にいただいたHayır Lokuması

ここにも悲しみを抱えた人がいる。私たちも祈りを捧げてから一皿いただき、目的地へ向かった。祈りが故人に届きますように。


2025年10月6日月曜日

イスタンブル観光の続き1日とトルコの新しいケーキブーム

 

はりきって行ったのに入れなかったカーリエ博物館
前日アヤソフィアに入れなかったので、カーリエを甥っ子1に見せたかった。実は、私はアヤソフィアよりカーリエの方が好きなのだ。その日は金曜日だったけれど、ガイドブックに「金曜日は礼拝時のみ閉館」と書かれていたので何の心配もせず、トラムを乗り継ぎ到着した。観光客がいない。「やっぱりみんなアヤソフィアに行くのね」なんて思っていた。ところが終日閉館だった。ガイドブックで確認して行ったのに… 甥っ子1に見せたかったから残念で仕方がない。

せっかく行ったカーリエの後、軍事博物館でメフタール(軍学隊)を聴きに行く前に、時間が出来たので、私がトルコ在住時よりずっと行きたかったフェネル、バラット地区を散策することにした。 

カーリエから金角湾に向かって坂道を歩いて降りた。目的地は世界に3億人の正教徒を有する宗教的権威として認められるイスタンブル総主教庁(聖ゲオルギオス大聖堂)。ロシアとウクライナの戦争が始まってから、ここでウクライナ正教会がロシア正教会からの独立を認める署名がされた。それに反対するロシア正教会はイスタンブル総主教庁と断絶することになる。

イスタンブル総主教庁(聖ゲオルギオス大聖堂)  
 
教会内部

 

この地区の家の外装がカラフルで、おしゃれなカフェやお土産物屋などもあり、すっかり観光地化していた。

 

その後、タクシムのイスティクラル通りを歩いて上がり、疲れたのでスイーツカフェで休憩。私はやっぱりカザンディビ(オスマン帝国時代にも作られていた「鍋底」という名前の牛乳のお菓子。もっちりとしたテクスチャで、中に裂いた鳥の胸肉が入っているが、鳥の味はしない。表面をキャラメル状に焦がしている私の好きなお菓子)を選び、友人はカラメル味のムハレビ(これも牛乳のお菓子。米粉と牛乳で作るもっちりした硬めのミルクプリンのよう)を注文。甥っ子は無難にレアチーズケーキを選択する。

カザンディビのアイスクリーム添え

カラメル味のムハレビ
 
甥っ子1のチーズケーキとレモネード

 ここで、少しトルコの新い味をご紹介。以前、トルコでチーズケーキといえば日本でのレアチーズケーキが売られていた。ところが今回San Sebastian(サン・セバスティアン)という名前のチーズケーキがあると聞いた。 なんだろうそれ?と思っていたら、日本ではバスク・チーズケーキと呼ばれているベイクドチーズケーキのことだった。トルコのvikipediで調べると「スペインのバスク地方の街サン・セバスティアンにあるLa Vinaと言う名前の小さなお菓子屋さんで1990年代に作られた」そう。(https://tr.wikipedia.org/wiki/San_Sebastian_Cheesecake) それが現在のトルコでブームになっているらしい。知人は「このケーキが一番好き」と言っていた。スペインの現地では単にチーズケーキと呼ばれているものが、日本では「バスクチーズケーキ」になり、トルコでは「サン・セバスティアン」と呼び名が異なる。両国が各々の命名を選んだ理由は何なのか、気になるところだ。

さて、話を観光に戻して、最後の新市街にある軍事博物館へ。外に当時の大砲や戦闘機がそのまま残っているので、甥っ子1は興味津々。ところが、ここでもびっくり。以前は、博物館入館料に軍学隊の演奏も入っていたのに、別料金になっている。ここも高くなってる。でも、地下宮殿では学生でもトルコ人じゃないと割引ではなかったけれど、軍事博物館では学生証を写真で見せただけで、割引になると言う。甥っ子1はすぐに、日本の母親に学生証を写メで送ってもらい、オッケーがでた。軍学隊の演奏が無料になった。 

やっぱりトルコ民族がどう移動して行ったかから始まる   


兵士のヘルメットの前にあるのはスプーン
こちらのヘルメットの前にもスプーン

   

今まで何度も軍楽隊の演奏を聴きに行ったが、初めて舞台の後ろの壁が全面開き、庭から軍楽隊が行進しながら入ってきた。とても素晴らしかった。軍学隊が別料金になったせいか、演奏終了後、一緒に写真が撮れる写真タイムが5分設けられていた。それぐらいはしてもらわないとね。

写真タイム

というわけで、もっとたくさんの見所があるイスタンブルなのだが、甥っ子1の2日半の観光は今回これで終了。続きは次回にぜひ…。

2025年10月5日日曜日

イスタンブル観光1.5日

 

地下宮殿

甥っ子1はイスタンブルに2日半だけ滞在した。最初の1日半のイスタンブル観光に、やはり旧市街のスルタンアフメット地区は外せない。


まずグランドバザールからエジプシャンパザールへと続くお決まりの道を歩く。軒並みいろんな店が連なっているが、甥っ子1は買い物に興味がない。

次の日の最初は地下宮殿。チケットを買う列は長かったが、並んで売り場に到着すると外国人は1500TL。日本円で約5400円。目を剥いた。トルコ人は350TL。学生でも、トルコ人じゃないと割引なし。高い! 以前と全然違う料金体系になっている。 

メドゥーサ
メドゥーサ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地下宮殿は現存する東ローマ帝国の貯水池としては最大のもので、ビザンチン帝国のユスティニアヌス1世によって建設された約8万立方mの水を貯められたとされる巨大な貯水施設。中には336本もの大理石の柱が並んでいて、柱の土台にされた逆さや横向きのメドゥーサが有名だ。

1本にだけ模様のついた嘆きの柱
 

次に行こうとしたアヤソフィアは、25ユーロで約4300円、しかもチケット売り場には長蛇の列。イスラム教徒で礼拝のために入るのなら無料。友人は礼拝もしないのに自分だけ、ちょっと見てくると入ってしまった。ずるい!

友人が入って撮った写真。ビザンチン時代の教会がオスマン帝国時代にモスクにされ共和国後には博物館になり世界遺産に登録されるが、それがまたモスクにされてしまった。

 
トプカプ宮殿もチケットを買う列が長すぎて並ぶのさえ諦め、プルーモスクへ。礼拝時間が迫っていたので急いで中に入る。それから、ヒッポドロームと呼ばれているコンスタンティノープル競馬場で休憩した。
ブルーモスクと言われるだけありブルーのタイルが美しい
 
甥っ子1は、初めてモスクに入ったので荘厳な装飾に大層感動していた。地下宮殿も興味を引いたようで、高くてもまぁ入ってよかったと言えよう。

最後に、ボスポラス海峡のショートクルーズに出かけた。黒海まで行くと往復6時間もかかるため 2時間の短いコースにした。ドルマバフチェ宮殿、乙女の塔や、ルメリヒサル(ボスポラス海峡の最狭部のヨーロッパ側に位置したメフメット2世がわずか4か月ほどで建造し、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルの陥落の足がかりとした要塞)ベイレルベイ宮殿などを眺めた。

ボスポラス海峡のクルーズ船を待つ間。ガラタ橋の向こうに見えるのが新市街にあるガラタ塔

右側がヨーロッパ大陸の旧市街にあるトプカプ宮殿、左側はアジアサイド

2025年9月15日月曜日

ギリシャの最悪ホテルに滞在

 トルコのエディルネから、ギリシャ🇬🇷のアントロポリに来た。5スターホテル(と書いてある)ラマダホテルに昨日から滞在している。

着いた当初から、これが5スターホテルかと思うことが次々に私たちを襲っている。

私は甥と泊まるので、友人にツーベッドルームを予約してもらっていた。ところが部屋に入ると、ダブルベッド。レセプションに連絡を入れて、シーツも掛け布団も持ってきてもらいベッドを二つに分けてもらった。まあ、よくあることといえば、それまでだけれど。

今朝、朝食後部屋に戻って座っていたら、何かポツポツと音がする。何の音か、どこからの音か分からなかったが、ふと横を見ると床に水が… 何と天井から水が漏れている。

すぐにレセプションに電話して、見に来てくれるように頼んだ。やっときた修理の人がジェスチャーで言うにはクーラーから漏れているとのこと。部屋を変えて欲しいと、またレセプションに電話。

問題は、私が英語よりトルコ語の方が、簡単に意思疎通できるため、ついトルコ語で話してしまう。ところがレセプションにトルコ語が話せる人がいないという。このホテルの宿泊客のほとんどがトルコ人なのに、レセプションにトルコ語を話せる人がいない。

水漏れを拭きにきてくれた女性に、トルコ語が話せるかと聞いたところ、掃除の女性たちは全員トルコ語が話せるという。レセプションより素晴らしい。早速彼女に通訳してもらった。

荷物を持ってレセプションに来てくれたら、替えのキーを渡すと言われたので、甥と2人で荷物を抱えて、行った。部屋が空くのに30分かかると言われた。そのくらいなら、友人夫婦の部屋で待つと言い、彼らの部屋に避難民として逃げ込んだ。

ところが、何が30分!もう用意ができたかと電話で聞くも、掃除が終わらないのでまだかかると言う。それなら、最初から自分たちの部屋で、待っていればよかったのに…2時間以上待った。ここまでで時刻は13時30分。

替えてもらった新しい部屋がまたダブルの部屋だとどうしようかと、心配していたら、今度はちゃんとツーベッドだった。ホッと安心したのも束の間、この部屋の電話は不通…Wi-Fiも弱い。友人たちと連絡を取るためには、いちいち彼らの部屋まで行かなければならない。

明日のチェックアウトまで、これ以上何か起こるのだろうか… 

2025年9月11日木曜日

2025年9月 トルコあるある

 1年ぶりにトルコにやってきた早速、トルコあるあるに遭遇。

  友人宅は何棟もあるゲイティッドコミニティーで、そこにお世話になっています。着いた日は、日本から24時間以上かけてヘトヘトになっていたため、ぐっすり寝て気がつきませんでした。でも昨夜、2時に男性の声で目が覚めました。すぐそこで男性と女性が話しているような大声です。2時です、2時!我慢して眠ろうとしましたが、あまりにうるさくて眠れません。耳栓をつけましたが、効果なし。それが5時まで続きました。夜中に、どうして大声で話す必要があるのか、人の迷惑をなぜ考えないのか!

 そうしているうちに、今度は犬の鳴き声のオンパレードが始まりました。コーラスのように何頭もの犬が鳴いています。もともと、物音ですぐに目が覚める私は、もう眠れるどころじゃありません。

 朝、友人に訴えたところ、バルコニーで大声で話している家族は、有名だそうですが、「言ったところで喧嘩になる 」とか「文句を言っても、顔を合わせることになるから」という理由で誰も文句を言わないとのこと。だからやりたい放題。日本ではすぐにマンションの理事会に文句を言い、注意書きが回ってくると伝えたところ、その大声の持ち主が理事だとのこと。最悪…

 イスタンブルに住んでいた頃、仕事の前の日になると隣のマンションの部屋からの声が筒抜けで、夜中まで眠れなかったことを思い出しました。あれも、とてもうるさかったです。一人で「うるさ〜いっ!」と叫んでいました。

 犬の鳴き声ですが、別の棟の人が餌をやっているので、野犬が多いからだそうです。なぜ早朝に鳴き出したのかはわかりませんが、人の大声よりは犬の鳴き声の方が私にはマシでした。 

 寝ている部屋の窓を閉めると、今度は暑くて眠れなくなりそうなので、今晩も眠れなかったらサロンに移る予定ですがこれが続くと、我慢できずに「うるさいっ!」と叫び出しそうです。 

 どうか、そういう羽目にならないことを祈るばかりです。