神戸モスクに作られたイフタールのテント |
2023年のラマザン(ラマダン)も、残り数日になってきました。
先日、知り合いに誘われ、神戸の北にあるカフェに行った帰りに、神戸モスク横のパーキング全体にイフタール(ラマザン月の毎日、日没後にとる食事)のテントが設置されていました。
(ラマザンについて以前のブログや、拙著にも書きましたので、よろしければご一読ください。↓)
https://torukomeshi.blogspot.com/2017/06/blog-post_13.html https://torukomeshi.blogspot.com/2017/06/blog-post_11.html
ラマザンは、トルコ語ですが日本では一般的に断食月という呼び名で知られています。この断食は、イスラム教徒だけがするものではなく、実践においての違いはありますが、食に規制をつけるという意味では、東洋文化にも西洋文化にもあります。
日本でも願掛けをするために、好きなものを断つ「〇〇断ち」と言われている事があります。それも断食の一つの形だと思います。
「断食」というと、単に飲食だけを断つイメージに繋がりますが、コーランの日本語訳では「斎戒」と記されています。(2:183-185)
「斎戒」とは『クルアーン やさしい和訳』には「斎戒は飲食、喫煙、性交を控え、言動も慎むなど、断食よりは広く、また精神的なないようを含むものが本来である」と説明されています。
嘘をついたり、人の悪口をいうことなどは、ラマザン中でなくても慎むべきことですが、この月には、いつも以上にイスラム教徒として、コーランに書かれている正しい振る舞いが求められます。 つまり、ラマザンは、神と向き合うための実践の月だとも言えます。
また、ラマザンは毎日、日没後にイフタールと呼ばれている断食明けの食事を取らなければいけません。そして、このイフタールでは、家族や友人知人が揃い、食を分かち合う幸せを実感します。
現在「個食」や「孤食」という言葉があるように、家族揃って食事を取ることが、なかなか難しくなっている私たちの生活の中で、このイフタールは「共食」、言い換えれば人をつなぐ役割を果たしています。
このように、ラマザンはイスラム教徒として生活している人たちにとって、自分たちはイスラム教徒であるという自覚がいつも以上に高まり、また、私たちが「断食」から想像する辛いこととは違ったものとして映っていて、人と人との繋がりが確認でき喜びを持って迎える月ではないでしょうか。