2017年7月10日月曜日

古い歴史を持つパイに似たお菓子バクラヴァ〜作り方には職人技が必要〜

前回のブログで、パイに似たバクラヴァに触れたので、今回は、このバクラヴァについて説明したいと思います。

バクラヴァは歴史が古く、オスマン時代では、ラマザンやバイラムに欠かせないお菓子でした。バクラヴァの最古の記録は、1473年、メフメット2世の時代のものです。宮廷の仕入れ台帳に、5〜6種類のバクラヴァの名前が記録されています。(Tuğrul Şavkay 'Tatlı Kitap〜Türk ve Dünya Tatlıları〜)ただ、私は想像するのですが、当時、宮廷で食べるお菓子は、当然、専属の菓子職人(ヘルヴァジ:挿絵右)が作るはずなので、おそらく、完成したお菓子を仕入れたのではなく、バクラヴァの材料を買い入れたのでしょう。

1539年には、宮廷で行われたスルタンの息子、ジハンギルとベヤジィットの割礼の儀式に当たって、バクラヴァが振る舞われたという記録もあります。

19世紀には、メロンを入れたバクラヴァのレシピが登場します。また、宮廷では、断食月の15日目に、このバクラヴァをがイエニチェリと呼ばれる歩兵軍団に振る舞われました。(Yunus Emre Akkor 'Osmanlu Mutfağı〜Gelenekten Evrensel〜)

では、このバクラヴァはどんなお菓子なのでしょうか。皆さんは、パイに似ているというと、ミルフィーユなどのお菓子を思い浮かべると思います。日本で知られている一般的なパイは、生地にバターを練り込み、焼くと何層にもなるパイ生地からできています。

しかし、バクラヴァは、ユフカという薄い皮を1枚ずつ重ねて作ります。一枚のユフカは、小麦粉と卵に水と油を入れ練った生地に、コーンスターチなど、スターチ類を振りかけ、めん棒のような細長い棒で延ばしながら作ります。トルコ語では、ユフカを作ることを「ユフカを開く」と言います。そして、このユフカは、向こうが透けて見えるほど薄く延ばすのが美味しくする秘訣です。よいユフカは「紙巻きタバコの紙のよう」だと表現されていて、「ユフカを透かしても新聞が読める」のがよいとも言われます。職人の腕が試されるものなのです。

職人技といえば、このユフカにはスターチ類が振り掛けられているため、手早くしないと乾燥して、破れてしまいます。昔は、料理人を雇う前には、先ずピラフとバクラヴァを作らせ、バクラヴァを焼く入れ物の大きさに、きちんとユフカがおさまるように伸ばすことができるか、どれだけ薄く伸ばすことができるかなど、腕を試したそうです。(Tuğrul Şavkay 'Tatlı Kitap〜Türk ve Dünya Tatlıları〜)

このユフカを、油をひいた大きな丸い円盤のようなパイ皿に少なくとも10枚以上は重ねて、パイ生地ができます。重ねられたユフカの間には、薄く油を塗ります。その上に、クルミを砕いたのを入れると、ジェビズリ(クルミ入り)バクラヴァになり、ピスタチオの砕いたのを入れるとフストゥックル(ピスタチオ入り)バクラヴァになります。そして、その上に、また10枚以上のユフカを重ねていきます。昔のイスタンブルの裕福なお屋敷では、最低でも100枚のユフカを入れるようにと要求されたそうです。(Tuğrul Şavkay 'Tatlı Kitap〜Türk ve Dünya Tatlıları〜)

さて、この生地を市松模様に切り込みを入れ、上から溶かしバターをどっさりかけます。私の持っている本に載っているレシピには(Tuğrul Şavkay 'Tatlı Kitap〜Türk ve Dünya Tatlıları〜)10人分の材料として、900ミリリットルの溶かしバターと書かれています。かなりのカロリーですね。これをオーブンに入れて焼き、取り出して、すぐその上からシロップをたっぷりかけます。ものすごく甘いです。トルコ式パイのバクラヴァには、色んな種類や形がありますが、作り方は大同小異です。

トルコに最初に着いた日の、お昼ご飯に、デザートとしてこのバクラヴァが出てきました。フォークを入れると、中からたっぶりのシロップが流れだし、一口食べて、その強烈な甘さに頭がしびれました。エスプレッソのような濃いコーヒーがないと、食べられないと断念してしまいました。しかし、町のバクラヴァジ(バクラヴァ屋)には、いいお年をめした男性が、一人、飲み物なしでバクラヴァを召し上がっている光景を何度も見かけました。

最初の印象が強烈で、それ以降食べたいと思った事がなかったのですが、長年住んでいると不思議なもので、それが食べたくなってくるのです…。特に、重いトルコ料理をしっかり頂いた後には、この甘いお菓子でシメないと、食事をした気にはなりませんでした。慣れって怖いですね。