2017年6月13日火曜日

断食月ラマザンのうんちく〜その2・断食明けの毎日の食事、イフタールのご馳走〜

ラマザンでは断食をすることにより、空腹を知り飢えた人の気持ちを知ることが重要だとされています。また食事を分かち合うことが大切です。イフター ルには、断食しているいないに関わらず、家族や親類、ご近所さんや友人など、多くの人を招待したり、されたりして食卓を囲みます。先ず、目上の人たちを招 待するのが、礼儀だそうです。異教徒も招待されることがあるので、私もよくご馳走になりました。



ラ マザン中は、このイフタールの時間に間に合うように帰る人たちで、毎日道路は大混雑。クラクションや喧嘩の声が響き、混沌たる喧噪でした。喧嘩はタブーの はずじゃなかったのかしら・・・ バス停で、イフタールに間に合わない人は、イフタールの時間を知らせるエザンが読まれ始めると、おもむろに鞄からパンを 出して、かじっているのを目にしたこともあります。
ラマザンの時に食べるピデというパンを買う人の行列
ナツメヤシやナッツ類

イフタールでは、最初に水を飲みナツメヤシを口にして、断食明けの食事が始まります。普段 より、ご馳走が並びテレビでは、イフタールメニューの料理番組がたくさん流れます。 スープからデザートまでのフルコースです。しかし、食べ過ぎたり、急いで食べたり、油っこいものをとり過ぎると体によくないと繰り返し放送されます。レス トランなどでは、イフタールの特別メユーが提示されます。人々は、セットされたテーブルに座り目の前のご馳走を眺めながら、ひたすらエザンが読まれるのを お預け状態で待っています。昔のイフタールには、イシュケンベチョルバスという羊の胃のスープ(işkembe çorbası)が、大層好まれていて、イフタールの10分ほど前には、お皿を持って店の前に並んでいたそうです。(Kamil Toygar 'Ramazan Yemekleri ve Mutfak Kültürü', M.Sabri Koz'Yemek kitabı' I 〜Tarih-Halkbilimi-Edebiyat〜)

断 食が始まる前にサフールをとらないと、その日の日没まで飲み食いできません。 寝坊は厳禁です。昔のラマザンでは、マーニ(mani:トルコの詩の形式の一つ)を読みながら、太鼓を叩いてサフールの時間を知らせるのが習わしでした。 ラマザンが終るとお金を集めにまわり、人々は心づけとして渡していました。(Kamil Toygar 'Ramazan Yemekleri ve Mutfak Kültürü', M.Sabri Koz'Yemek kitabı' I 〜Tarih-Halkbilimi-Edebiyat〜) 私が住んでいたころには、マーニーが読まれていたのか分かりませんが(何せ熟睡の時間です)大きな太鼓の音で、ドンドコドンドコと毎日まだ暗いうちに無理矢理起こされて、ちょっと迷惑でした。

ではここで、断食月ラマザンの長い夜に一つトルコの小咄を・・・
ラマザンにとっておけ
 昔、あるところに一人の男がいました。男は何でも一番いいところを、よけてとっておいていました。 「これを、ラマザンにとっておいとくれ」と妻に言いました。
 ラマザン月がきました。美味しいご馳走が用意され、イフタールの食卓が一杯になるほど運ばれる日々が始まりました。
 ある日、一人の乞食がドアをたたきました。「アッラーのために、どうかお助けを・・・」と物乞いしました。妻は「名前は何て言うの?」と聞きました。
「ラマザン」
「ラマザンですって?ちょっとお待ち、そうなら・・・」
 家にとっておいた美味しい食べ物や飲み物全てを、ドアを埋め尽くすほど持ってきました。
 「これ全部持ってお行き。うちの人は、あんたにとっておいたんだよ」と言いました。
  その日の夕方、夫が帰って来たてから、何があったか説明すると、大層たたかれてしまいました。どうしようかと、二人でふさぎ込みました。一年かけて、とっ ておいたものが一日でなくなってしまったのです。このまぬけさを、毎晩違ったご近所さんに行き、話して聞かせ、ご馳走になろう。
 このようにして、ラマザン月に小咄や昔話が話されるようになったそうです。
(Kamil Toygar 'Ramazan Yemekleri ve Mutfak Kültürü', M.Sabri Koz'Yemek kitabı' I 〜Tarih-Halkbilimi-Edebiyat〜)