イスタンブルに住んでいた時には、毎週のようにリュックを背負ってバザールに買い物に行きました。買い物に来ていたおじさんに「スイカのおしりを手で叩いて、ボンボンと弾むような音で甘さが分かるよ」と教えてもらい、日本と同じだな・・・と思ったものでした。しかし、トルコではスイカは1つ買わなければいけません。(日本に戻り、スーパーに二口ほどで食べ終る小さく切られたスイカが売られていて、その値段を見て大層驚きました)独り暮らしの私には、多過ぎますが半分などと買うことができません。でも、食べたい!! できるだけ小さいサイズを選ぶのですが、それでも何キロもあり、スイカだけでリュックが一杯になり、のけ反るようにして家に戻ったものです。そして、その日から毎日スイカを食べることになります。夏になると友人に「またスイカをご飯の換かわりにしてるんじゃないの??ちゃんと普通のご飯も食べてよ」とよく言われました。
暑い夏には、食欲がなくなります。トルコ人の友人宅では、パンとスイカと白チーズ(日本ではフェタチーズと呼ばれています)のみが朝食に上がることもありました。最初は、スイカとパンにチーズ?!!と思いましたが、スイカとチーズは、前菜としてお酒のあてにもなりますから、チーズの塩気とスイカの甘さがマッチしています。でも、スイカをおかずにパンを食べるのはやはり・・・
日本では、スイカに塩をかけて食べることがあると言うと、トルコの友人たちは 一様に「信じられない!!」と反応していましたが「スイカと白チーズはどうなの?同じじゃないの?」と聞くと、妙に納得していました。お互い自分たちの文化は当たり前で、相手のことには驚くことが多いですね。
トルコの夏にはかかせないスイカですが、トルコ語の諺や慣用句にも、このスイカが使われているものがあります。気になって日本語にはあるのか、調べてみましたが「西瓜は土で作れ南瓜は手で作れ」という諺しか見つかりませんでした。物の性質を知り、それに応じて育てるという教訓だそうです。
これに対してトルコ語には
・一脚の肘掛け椅子に二つのスイカは入らない(İki karpuz bir koltuğua sığmaz) :同時に二つ以上の仕事や用事などはできない
・スイカの皮を見る前には海に入るな(Karpuz kabuğunu görmeden denize girme):何かをするのであれば一番適した時期が来るまではしてはいけない
・メロンとスイカは横になりながら大きくなる(Kavun, karpuz yata yata büyür):なまけている人をからかう時に使われ、なまけるなという意味
・スイカは蔓で大きくなる(Karpuz kökeninde büyür):子どもは生まれ育った環境で成長する
などがあり、トルコでは諺や慣用句が日常会話にもよく登場します。
また、ゲストが「さあ、そろそろお暇を・・・」と口にした時、「あら、もうお帰り?まだスイカを切るところだったのに(Daha karpuz kesecektik)」と言うことがあります。「もう少しいいじゃないですか」という社交辞令的でユーモアのある言葉ですが、深夜の1時2時にこれを言うと、かなり嫌みになりますね。なのでこの言葉は、ごく親しい間柄の友人たちにしか使えません。そして何故か冬でも「スイカ」なのです。トルコの友人宅での帰り際に、この言葉を聞いて「あら、まだスイカが用意されていて、出て来るのね」と思うと大間違いなので、ご注意くださいね。京都の「ぶぶ漬けでも・・・」と同じような使い方なのです。
上の2枚はトルコの友人の面白いスイカの食べ方です。スイカの上の部分を切り、そこから食べたいだけ中身をスプーンでくり抜きます。そして、切り取った部分を帽子のように被せて冷蔵庫に入れ保存します。こうすると、乾燥も防げ長持ちするとのことでした。でも、このスイカが縦に入るほどスペースがある冷蔵庫か、大きな冷蔵庫が必要ですね。