トルコの地方都市大学で日本語を教えて帰国する前に、まずトルコ語を勉強しようと思い、大都会イスタンブルに出てきた。そして最初に住んだ街がBeşiktaş(ベシクタシュ)だった。その後帰国するまでの12年間、この街で過ごした。ベシクタシュは私のトルコでのホームタウンと言える。
この魚市場の横にある小さな魚屋さんでよく買っていた |
帰国してからトルコに戻ってくるたびに、この街を訪れる。そして、いつも通っていた道に来ると「この坂を上がると住んでいたアパートがあったなぁ。でも、もう帰る場所はないんだなぁ…」と思い、今でも鼻の奥がジーンとする。
ベシクタシュは学生の街なので、当時からカフェやバーがたくさんあった。それが、私が帰国する少し前から、やたらとバーの数が増え、仕事の帰り道にショートカットしていた小道に、椅子や机が並べられ、通れなくなっていた。
今回のトルコ滞在中、ベシクタシュのカフェで担当教官と待ち合わせをした。それまでに時間があったので、懐かしい場所を散策しようと思い、街を歩き始めた。犬も歩けばカフェとバーに当たる…そんなベシクタシュになっていた。
それでも、私がいた頃によく買っていた小さな魚屋さんが、そこにあった。地中海から上がった生のマグロが輪切りにされていて、大トロも赤身も同じ値段だったのに驚いた記憶がある。新鮮な小鯵を3枚におろしてお寿司を作り、友人に食べる勇気があるかどうか尋ねたら間髪入れず「食べる!」と言ったので、一緒に食べたのも懐かしい。
疲れた時にテイクアウトしていたロカンタと呼ばれる食堂も残っていた。ここの卵がのった巣ごもりほうれん草が大好きだった。日本であんなにたくさんほうれん草を使ったら高い料理になってしまう。
好きな料理を選んで注文するロカンタ |
その横にあるトゥルシュ(お漬物)屋さん。小指ほどのキュウリのお漬物は、カリっとしていて、私のお気に入りだった。キャベツとモロッコインゲンのトゥルシュも、ご飯のお供によく合う。 そのまた横のベシクタシュ・キョフテジ(炭火で焼いた小さい肉団子を売る店)も、残っていた。
日本の古漬けに似た味でいろんな野菜のお漬物が売られている |
そして、何よりオスマン帝国時代から続くクッキー屋さん。名前は7-8 Hasanpaşa Fırını(イェディ-セキズ・ハサンパシャ・フルヌ)。私がいた時には4代目だったそうだから、もう5代目に代替わりしているのかもしれない。19世紀後半、オスマン帝国時代にハサンという人がいて、彼が皇帝アブデュルハミト2世の命を救い、そのため彼にパシャ(高官の意味)の称号が与えられたそうだ。しかし、彼は非識字者だったため、書類にサインするときに唯一知っているペルシャ語で٧(7)と٨(8)を書いた。そこからこの店の名前が7-8 ハサンパシャ・フルヌになったという。
ここの焼き菓子は種類が多くとても美味しい |
パンも焼いているが、やはりたくさんの種類の焼き菓子が有名だ。いつも行列が並んでいる。甘いのから、日本では珍しいワインのおつまみにもいける塩味の焼き菓子も美味しい。私もよく、友人の家に行くときに、ここで買って行ったものだ。今度行ったら好きな焼き菓子を買いがてら、写真も撮らせてもらおう。
私のホームタウン、ベシクタシュはカフェとバーだらけになってしまったけれど、コロナ禍にも負けず、大好きだった店が以前のまま残っていたのを見て、たまらなく嬉しくなった。