このヘルヴァなるお菓子ですが、実は、練り菓子のヘルヴァと、タヒン(胡麻)・ヘルヴァスという熱を加えずに、胡麻で作ったものの2種類があります。今回は、練り菓子のヘルヴァを取り上げたいと思います。
イルミック・ヘルヴァス(セムリナ粉のヘルヴァ) |
しかし現在では、「甘い」という言葉は、トルコ語起源の「タトル」 (tatlı)が使われています。お菓子職人のことも「タトルジュ」と呼ばれています。(ケーキ類を作る、イタリア語起源のパスタジュもありますが…)
「ヘルヴァ」を日本語の辞書でひくと、「とても甘い菓子(小麦粉、油、砂糖などを固めたもの)」、トルコ語の辞書でひくと「砂糖、油、小麦粉またはイルミック(セムリナ粉)で作られたデザート」と書かれています。そして「「ヘルヴァジ」は、「ヘルヴァを作る人、または売る人」と書かれています。
ヘルヴァから派生した「ヘルヴァハネ」という言葉は、オスマン時代、トプカプ宮殿でデザートを作っていた場所をさします。もう一つは、ヘルヴァを作る時に使われる、広くて少し深めの鍋を意味します。ヘルヴァを加熱して調理している時に、鍋底から側面にかけて練りやすいカーブになっているのが特徴的な銅製の鍋だそうです。(Yunus Emre Akkor 'Osmanlu Mutfağı〜Gelenekten Evrensel〜)
実は、このヘルヴァというお菓子は、イスラム社会にとって、多様な意味を持つシンボルとしていろいろな場所に登場します。社会的なコミュニケーションの手段や、善行を積むためにアッラーの神に捧げるものなのです。
ある時は、願掛けのために作られます。例えば、村に雨が降らず、雨乞いの祈りをした後、大昔から続いているように、特別に作られたヘルヴァを村人全員で食べたそうです。
ヘルヴァは、またある時には、感謝やお祝いのシンボルです。春になり、羊の毛の刈り込みが終った後のお祝いに、ヘルヴァは欠かせません。
集まって一緒に食べるヘルヴァは、和解のお祝いとしての意味もあります。諍いや仲違いのしこりを氷解するために、作られたヘルヴァの周りを囲んで一緒に分け合い、喜びます。
アッラーへの感謝の意を表すために、出産、入学、卒業、割礼、兵役、婚約、結婚、死、命日などの人生の節目節目の慶弔時で食されています。
また、新居を購入した時や、メッカに巡礼に行く前や帰って来てからのお祝いのために、ご近所さんなどにヘルヴァが振るまわれます。私も、ご近所さんから、時々、ヘルヴァのお裾分けを頂いていましたが、今思えば、どんな出来事があったのかを聞いて、お祝いやお悔やみの言葉をかければよかったと思います。
祝い事だけではなく、悲しい日々のシンボルでもあります。甘いヘルヴァを食べることで、悲しみや苦しい日々の辛さが、軽くなるようにとアッラーに祈るためです。トルコ語には”Tatlı yiyelim, tatlı konuşalım”(タトル イエリム タトル コヌシャルム:直訳は甘い物を食べて、甘く話そう)という表現があります。つまり、「甘い物を食べれば、言葉も甘くなる」ということでしょう。人生の苦痛を癒すために、愛する家族の死や命日に故人を偲んでヘルヴァは作られます。
お葬式で故人の家族がヘルヴァを振る舞う。 http://www.aliseydi-sevim.com/haber _detay.asp?haberID=1085より |
反対に、お葬式の日の夜には、亡くなった家族に近しい人たちの方が、松の実入りのイルミック・ヘルヴァスを作り、ご近所さんたちに振る舞いました。これを受け取ったご近所さんたちは、亡くなった故人の冥福のために祈りを捧げます。(Artun ÜNSAL 'İstanbul'un Lezzet Tarihi)
ヘルヴァは、亡くなった家族の人たちからご近所へ、果物はご近所から亡くなった家族 へと送られます。その逆はないのでしょう。
現在でも、イスタンブルだけではなく、かなりの地域で、まだ失われていない風習の一つです。このように、小麦粉やセモリナ粉に砂糖とバターなどの油を入れて練る単純な(30分も練っていたので時間はかかりますが)ヘルヴァは、単なるお菓子ではありません。いろいろな意味を含む大切な食べ物なのです。