2023年5月20日のAkşam新聞に掲載 |
以前、インタビューされていたトルコ地震への支援活動がトルコの新聞に掲載されました。
https://m.aksam.com.tr/cumartesi/japonya-depremzedelerin-kader-ortagi/haber-1368192(←こちらからもご覧いだだけます)
私が伝えたこととは違っている箇所もありますが、以下は、その日本語訳です。
運命がむすぶトルコと日本の被災者の友情
1995年に神戸を震撼させた震度6.9の地震を経験した日本には、トルコと友情で結ばれた人たちがいる。彼らは、カフラマンマラシュの地震後、トルコでの被災者のために、多くの被支援活動を行った。この支援活動のいくつかに関わった研究者の井藤聖子は、Akşam Cumartesiに、それらの活動について語った。
大統領選のため、被災者たちの多くが、自分たちのことは忘れられてしまったと考えた。しかし、政府による仮設住宅の建設計画が進められる一方、非政府組織やボランティア団体は、震災直後と同じ頻度とはいかないまでも、支援活動を続けている。世界各国でも、支援のキャンペーン活動は続けられている。イスタンブル大学でトルコ口頭伝承文芸を専攻し、シェイマ・ギュンギョル教授の指導のもとで博士号を取得し、日本に帰国した研究者である井藤聖子も、トルコに心を寄せるその一人だ。
井藤は、トルコでの地震を知るとすぐにトルコの友人に連絡を取り、被災者のために何かできることはないかと思い、行動を起こした。井藤は、日本で行ったボランティア活動について、Akşam Cumartesiに語った。
トルコと強い絆をもつ井藤は、地震発生を知るとすぐ、現地での救援活動の状況をフォローし、地震の規模や被災状況をテレビやラジオなど日本のメディアで伝えた。
「阪神・淡路大震災の被災者だった私は、今でもトラウマを抱えています。そのため、地震の被害を聞いたり、見たりするのはとても辛いことです。でも、トルコ地震のことを正しく伝えなければいけないと思います」と語る井藤は、友人のミュージシャン、菊池慶がトルコの地震被害者のためのチャリティーコンサートを開催するなど、さまざまな支援活動について紹介した。菊池も井藤と同様に、日本を震撼させた阪神・淡路大震災を経験した一人。菊池は地震や災害などの被災者支援のために、多くのチャリティーコンサートを開催している。そのため、トルコの地震を知ったとき、すぐに行動を開始した。東京でもチャリティーコンサートを開催し、その収益金を京都の日土協会に届けたと、井藤は話した。
また、井藤は、日本の小さな町の学校に学ぶ子どもたちがトルコの被災者に向けて書いた、たくさんのお見舞いのメッセージをトルコ語に翻訳した。
日本人に深い爪痕を残した阪神・淡路大震災の後、被災地の神戸で作られた鎮魂歌が、毎年1月17日の追悼式で歌われていると井藤は話す。その歌詞を井藤はトルコ語に訳し、同じ痛みを抱くトルコの被災地の友人たちに歌い、その思いは伝えられたと語る。
井藤聖子は、日本全国でトルコへの支援活動が行われていることを紹介し、1995年の大震災の後に、神戸で設立された地震調査・救援団体CODEの吉椿雅道事務局長と学生インターンが地震後にトルコに入り、2月11日から17日まで地震被災地に滞在していたことも伝えた。吉椿は、ガジアンテプ、ヌルダ、カフラマンマラシュ、アドゥヤマンで地震被災者を支援し、地震で建物がどのように損傷したかの調査も行った。また、彼には、ネヴシェヒル大学の日本語教師とその生徒2名が同行した。吉椿は帰国後、トルコで見たことを日本のラジオ番組で報告している。