2017年11月28日火曜日

イスタンブルから〜トルコの地方料理を食べる・黒海の郷土料理


イスタンブルに行くと、トルコの色々な地方料理を食べるのも楽しみの一つです。
今回は、黒海地方の郷土料理をご紹介します。

■薄いブルーで塗られた地域が黒海地方
トルコは日本の2倍の国土を持ち、7つの地方に分けられています。その1つに黒海地方があります。黒海地方は、東西に長く、トルコ北部の黒海に面したアナトリアの殆どの地域が、この地方に入ります。


黒海沿岸部からすぐに山岳地帯が立ち上がるのが黒海地方の特徴
黒海地方は、海岸部に並行して険しい山脈が走る地形を特徴としています。西側の地域は、地中海気候に属し、夏は雨が少なく乾燥し、冬には相対的に雨量が多いのが特徴です。それに対して、東側は温暖湿潤気候に属し、1年を通して雨量が多く、そのため、黒海地方と言えばトルコでも豊かな緑の土地として知られています。

タバコやお茶の栽培が盛んに行われており、日本のような段々畑形式の茶畑も見られます。

フンドゥック(fındık:ヘーゼルナッツ)も有名ですし、トルコ 映画の名前にもなったバル(bal:蜂蜜)でも有名です。しかし、黒海地方の特産物と言えば、農産物のムスル(mısır:トウモロコシ)と、海産物のハムシ(hamsi:カタクチイワシ)です。

ムスル(mısır:トウモロコシ)は、19世紀にコーカサス地方からの移民が持ち込んだものだそうです。Arif Bilgin, Özge Samancı,'Türk Mütfağı'

黒海地方の料理には、この特産のムスル(mısır:トウモロコシ)やハムシ(hamsi:カタクチイワシ)を使った料理がたくさんあります。ハムシのピラフやパンやピデ(pide:薄く伸ばした生地に具を置いて焼いたピザのようなもの)まであります。

黒海料理の特徴としては、胡椒と砂糖を一緒に使ったり、お漬け物を温かい料理にすることなどがあげられます。( Arif Bilgin, Özge Samancı,'Türk Mütfağı'

私は、初めて黒海地方に遊びに行ったとき、そこで食べた料理の美味しさに衝撃を受けました。
黒海料理のレストランの料理
今回のイスタンブル滞在でも、黒海料理のお店に行く機会があり舌鼓をうちました。
その美味しい料理の数々について書きたいと思います。

カララハナ・サルマス
先ず、注文したカララハナ・サルマス(kara lahana salması:黒キャベツの巻物)は中身に、私が地中海地方出身の友人のお母さんに教えてもらった、ミンチとお米を入れて作るサルマと違う食材が入っています。

黒海地方のサルマには、トウモロコシの砕いたものと羊肉を細かく切ったものが入っています。ブルグルという挽き割り小麦をいれることもあるようです。(Mustafa DUMAN 'Trabzon-Maçka'da, 1950-1960 Yıllaır Arasındaki Geleneksel Mutfak Kültürü', M Sabri Koz ' Yemak Kitabı I Tarih-Halkbilimi-Edebiyat') 


ファスリエ・トゥルシュス・カヴルマス
そして、ファスリエ・トゥルシュス・カヴルマス(fasulye turuşusu kavurması:モロッコインゲンのお漬け物の炒め物)。これは、モロッコインゲンのお漬け物を、タマネギと一緒に炒めたものです。お漬け物といっても、酸っぱい料理ではありません。浅漬けを使うのでしょうか。
この料理にジャガイモを加えることもあるそうです。(Mustafa DUMAN 'Trabzon-Maçka'da, 1950-1960 Yıllaır Arasındaki Geleneksel Mutfak Kültürü', M Sabri Koz ' Yemak Kitabı I Tarih-Halkbilimi-Edebiyat')


チーズフォンデューのように伸びるムフラマ
黒海料理を食べに行って、必ず注文するのはムフラマ(muhlama:コーンミールをバターで炒めてチーズも加えたもの)です。黒海地方に旅行した時、何も知らずに注文して食べたムフラマの美味しさに感動しました。硬めのチーズフォンデューのようです。

黒海地方のマントゥ
このレストランでは、マントゥがありました。黒海地方にマントゥ…と、不思議に思い注文したら、私の知っている皮で包まれて湯がいたものではなく、具は皮でロールされてオーブンで焼いたものにヨーグルトがかかっていました。初めて頂きましたが、これはこれで美味しかったです。

サルマにしろ、マントゥにしろ所変われば、同じ名前でも色々と違うものです。

黄色く四角いのはトウモロコシのパン
トラブゾン・エクメックのスライス
上の2段にある丸いパンがトラブゾン・エクメック
黒海のパンといえば、ムスル・エクメック(mısır ekmek:トウモロコシのパン)とトラブゾン・エクメック(Trabzon ekmek)があげられます。トウモロコシのパンは、アメリカのコーンブレッドのようです。ちょっと硬くてパサパサというかポロポロしているので、好き嫌いが別れると思います。
トラブゾン・エクメックは、フランスのカンパーニュというパンに似ています。ずっしりと重いパンですが、厚め皮はパリッと、中はしっとりとして美味しいです。黒海以外でも、トラブゾン・エクメックと言う名で売られているものがありますが、黒海地方で使われている小麦、水そしてパンを焼くために使われている薪が違うために、同じ味にはならないそうです。(Mustafa DUMAN 'Trabzon-Maçka'da, 1950-1960 Yıllaır Arasındaki Geleneksel Mutfak Kültürü', M Sabri Koz ' Yemak Kitabı I Tarih-Halkbilimi-Edebiyat')

牛乳の入った優しい味のラズ・ボレーイ
葡萄ジュースで作られるペペチュラ
ラズ・ボレーイやリゼ・カダイフなどのデザート
 デザートには、ラズ(ラズ人:黒海の東部からジョージア国境付近くに住む民族)やリゼ(黒海の街の名前)などと、黒海地方にちなんだ名前がつけられています。
黒海色豊かな名前のデザート
今回は食べなかったのですが、メニューに載っていた料理の中で、興味がひかれたのは、「ハムシキョイ・ストラジュ(Hamsi köy sutlacı)という名前のデザートです。ストラッチというのは、ライスプディングのことなのですが、ハムシキョイ、イワシ村のライスプディングという意味になります。村の名前にまで登場するイワシ!面白いです。そして、このデザートには普通入らないサフランが入っているようです。白くない黄色いライスプディングなのでしょう。サフランは黒海地方のサフランボルという所で、昔はたくさん取れたそうです。サフランボルという名前は「サフランがたくさん」という意味です。料理名や使われている材料からも、興味深いことがたくさんあり、どんどん膨らんでいきます。

話をもどして、今回頂いたデザートは、私は大好きな、ミルクの入った優しい味のラズ・ボレーイ(Laz böreği) と、友人が勧めてくれて初めて食べたペペチュラ(pepe çura)でした。ペペチュラは、葡萄のジュースにコーンスターチを入れてとろみをつけて冷やしたものです。あっさりして、どちらも美味しかったです。

パンから、料理、デザートまでトウモロコシは、黒海料理には欠かせなく大活躍です。

今回、ただ1つ残念だったことは、イワシのピラフがなかったこと。季節ものらしく、今回は食べられませんでした。次回は、是非とも…。

2017年11月22日水曜日

イスタンブルから〜ロカンタ(食堂)とメイハネ(居酒屋)で食べる〜


ロカンタ
メイハネ








ブログを書くにあたり参考資料を読んでいると、現在のイスタンブルでの食の変化について書かれている興味深い記事がありました。
「…特に1980年代より現れ始めた現象がある。以前は、ロカンタ(lokanta:食堂)、メイハネ(meyhane:お酒の飲める店)、そして、カフヴェハネ(kahvehane:喫茶店)は、それぞれ別々の種類の店だったものだが、今日ではヨーロッパスタイルのカフェバー・レストランという名前のもとで、この3つの種類の店が1つにまとまっている。紅茶やコーヒーが飲める場所で、アルコールもオーダーできる。食べたければ、デザート類もほしいものがメニューから選べる。…」(Artun ÜNSAL 'İstanbul'un Lezzet Tarihi

この記事を読み、今日、イスタンブルの街のどこにでもあるカフェバー・レストランは、以前はそれぞれ違うタイプの店だったのだと、妙に納得してしまいました。

そこで今回のブログでは、カフェバー・レストランではなく、昔からあるトルコの食堂であるロカンタと、お酒の飲めるメイハネについてご紹介したいと思います。

ロカンタ(食堂)で食べる


ロカンタは、日土辞書には、食堂や料理店として訳されていますが、もともとは「旅館」を意味するイタリア語のlocantaが語源になっています。私がイスタンブルで暮らしていた時には、本当によくお世話になりました。

ロカンタのショーケース
スープから、サラダ、メイン、デザートまで、いろんな料理がおばんざいのように並べられています。それらの美味しそうな料理をあれこれと眺めながら、好きなものを選びます。素朴な家庭料理から、作るのがなかなか面倒な手の込んだ料理まで何でも揃っています。 たくさんの種類を食べたければ、それぞれ半人前という注文の仕方もできます。自分の好みで特別にひよこ豆をピラフの上にかけてほしいなと思うようなとき、それも、少しだけとか、たっぷりとか、さらにスプープもかけてほしいとか、本当に細かい注文も聞いてもらえます。

お盆を持ち並んで注文する
ロカンタは、基本的にセルフサービスで、自分でお盆を持って並ぶので、混雑するお昼どきなどは、後ろの人を待たせないために、早く選ばなければなりません。そんなときは、食べたいものがたくさんありすぎて、今日はどれにしようかと、なかなか決められず焦ります。
写真下の赤い部分は全部メニュー
料理の値段が高めのロカンタもありますが、一般的には安くて美味しく、学生や働いている人たちの頼もしい味方です。毎日通っても食べ飽きることがないほど、多種多様なメニューが揃っています。

選ぶのに悩みます
並んでいる料理の多くは、トルコ語でスルイエメック(sulu yemek)と呼ばれる汁物の煮込み料理です。トルコの友人と外国旅行に出かけたとき、食事にソテーやグリルばかりが続くと、きまって彼(女)らは、このスルイエメックが食べたいと言い出します。トルコの人たちは、好んでパンを汁物に浸して食べる習慣があるからでしょうか…。
私が選んだのは、サラダ、ほうれん草の巣ごもり卵、アンカラタヴァー(ピラフのように見えますが、お米ではなくパスタとお肉を炊いたも)
塩胡椒だけでなく、唐辛子とタイムも机置かれています

このロカンタの料理ですが、実はイスタンブルにおいて19世紀中葉から20世紀初頭にかけて大きな変化を遂げました。「トルコスタイル」の料理に加えて、「ヨーロッパスタイル」の料理が登場するようになりました。このヨーロッパスタイルの料理は、宮廷に最初に持ち込まれたものが、イスタンブルに居住しているイスラム教徒ではない外国人やトルコ人の富裕層に徐々に受け入れらたものです。

ヨーロッパスタイルの料理(この場合、ヨーロッパスタイルとはもっぱらフランス料理を意味します)をおもに出すロカンタの登場しました。このような店には、ヨーロッパスタイルの料理法を身につけた料理人が雇われていました。これらの店のメニューには、ヨーロッパ式のコンソメ、ガランティーヌ、牛フィレ肉、ヴァニラムースなどの料理が並んでいましたが、それでもアーティチョークのオリーブオイル煮など、伝統的なイスタンブル・スタイルのトルコ料理もいくつかは残されていました。(Artun ÜNSAL 'İstanbul'un Lezzet Tarihi

ところが、このロカンタで出される料理は、時代がさらに進み、現代になると、ふたたびトルコ料理中心へと変わりました。トルコ・ナショナリズムの一つの現れといえば、言い過ぎでしょうか。でも、興味深く思います。
  ほかにも、オスマン帝国の衰退によって、宮廷料理を作っていた料理人たちの中で宮廷を解雇された者たちが一般市中に流れ、彼らが作る手の込んだトルコ料理がロカンタのメニューを豊かにし、市井の人々にトルコ料理を再評価させたことも関係しているかも知れません。その証拠に、今日、ロカンタで広くみられる料理には「皇帝のお気に入り」という名前の料理もありますから。

メイハネ(居酒屋)で食べる


さて、次はメイハネをご紹介したいと思います。土日辞書には「酒場、バー」と記載されています。酒場やバーというとお酒がメインのように思えますが、メイハネの特徴は、たくさんの前菜と一緒にお酒を飲むことができるところにあります。もちろん前菜ではないメインの料理もありますが、前菜の種類の多 さには目をみはるものがあります。

イスタンブルのヨーロッパサイドにあるタクシムという繁華街には、じつに多くのメ イハネが並んでいます。オスマン時代にも、ギリシャ人、ユダヤ人、アルメニア人などのイスラム教徒でない人たちが住んでいる地域には、たくさんメイハネが ありました。彼らにとって、メイハネはワインを飲む場所だったのでしょう。

しかし、昔のメイハネはもっぱら男性のたまり場だったので、トイレも男性用しかなかったそうです。(Murat BELGE "Yemek Kültür~tarih boyunca")

トルコ人の友人たちは、よく「メイハネにはラクを飲みに行く」と言います。(ラクについては、こちらをご覧ください。http://torukomeshi.blogspot.jp/2017/04/blog-post_17.html)  私は、このアニスの香りのラクがどうも苦手なので、メイハネでは、いつもワインを飲みます。メイハネでは、ラクやワインを飲むのですが、ビールはといえば、カフェバーで飲むことが一般的です。面白い棲み分けがあるのです。

お酒と一緒にいただく前菜は、今日は、たっぷり中皿一杯の分量が運ばれてくるのですが、かつてはずっと少ない量だったようです。その上、注文した料理が、お客が食べ終わるのを見計らって、順にテーブルに運ばれてきました。話に花を咲かせながら、ゆっくりとラクを楽しんだのです。

メイハネでは、じつにたくさんの種類の前菜を楽しむことができます。これらの前菜には、冷たいものと温かいものがあります。注文の仕方は、まず、冷たい前菜を注文し、つぎに温かい前菜へと移ります。前菜だけでお腹がいっぱいになり、メインにたどり着けないこともよくあります。そのうえ、パンは食べ放題ですから…。

今回のイスタンブル滞在では、アジアサイドのカドキョイにあるメイハネに行きました。以下は、そのときに注文した料理です。


メイハネのショーケース
まず、ショーケースに並んでいる28種類の冷菜から、levrek marine(スズキのマリネ)、patlıcan salatası(茄子のサラダ)、fava(空豆のビューレ)、deniz börülcesi(アッケンソウという塩生植物のオリーブオイル炒め)を注文しました。(写真下が注文した冷製です。ただ、右端にあるドライトマトの前菜の名前は、書き忘れてしまいました。)
選んだ前菜5種類

温かい前菜
その後に、温かい前菜のpaçanga böreği(中にトルコの生ハムとチーズを巻いて揚げたもの)も追加しました。(写真上)

メイン料理には、魚も肉もありますが、私たちはイワシのソテー(写真上)を選びました。トルコでは小振りのイワシが一般的なので、このメイハネでは、開いたイワシを2匹合わせて焼いていました。魚料理には、たいがい新鮮なルッコラーと生のタマネギが添えられます。ルッコラーの苦さと生タマネギの辛さが、イワシの脂にマッチしてとても美味しいです。

昔は男たちの場所だったメイハネも、今では女性同士のグループがたくさん見受けられるようになりました。それでもまだ、一生アルコールを口にしたことがないという男女たちはトルコに大勢います。お神酒と称してお酒を神聖化する日本人や、イエスの血としてワインを尊ぶキリスト教徒たちとは、お酒に対する考え方がずいぶん違います。

とはいえ、仲間と一緒に美味しい前菜をつまみながらワイワイとお酒を飲むことは、私にとって大切な時間なのです。だから、イスラム教徒が95パーセントもいるトルコが、世俗主義の国是を守って、お酒が飲める国であることは、私にはとても嬉しいことです。これがいつまでも続くことを祈ります。

2017年11月6日月曜日

イスタンブルから〜トプカプ宮殿の食卓で使われていた磁器コレクション〜


トプカプ宮殿の台所を今回、特別に同博物館学芸員のÖさんに案内いただき、見学する機会を得ました。

トプカプ宮殿は、日本でもよく知られたイスタンブルの旧市街地にある有名な観光名所の一つです。

金角湾、マルマラ海、そして、ボスポラス海峡に囲まれた小高い丘の広大な敷地に、メフメット2世によって15世紀に立てられました。オスマン時代のスルタンの居住としてだけでなく、行政の中心地でもありました。現在は、博物館として観光客だけでなくトルコの人たちも訪れる場所です。

トプカプ宮殿は、ヨーロッパにある宮殿のイメージではありません。ヨーロッパのお城といえば、何階にも高くそびえていますが、トプカプ宮殿は高い建物ではなく、広い庭園もあり自然の中に建てられてています。

私もトルコ滞在中には、友人や知人がイスタンブルに来ると必ず一緒に行き、毎回ハーレムと宝物館は、見学していました。一番知られているのが、この2カ所だったからです。しかし、今回の来土の目的の一つは、宮殿の台所の見学をすることでした。学芸員の方から説明していただくという機会に恵まれ、大変楽しみにしていました。

今回は料理の話ではありませんが、その方から聞いたことを、このブログでまとめてみたいと思います。


トプカプ宮殿の台所は、第二庭園の右側にあります。海側から見ると一番高い「正義の塔」の左側に、シンボルとしての煙突が10本もそびえたっている場所です。当時は、1日に5000人分の料理を作っていた巨大な台所です。特別な行事や式典などには、多い時で15000人分も作られていたそうです。

現在、その大部分には、沢山のポルセレン(porselen:磁器)コレクションが展示されています。(残念ですが、写真は禁止でした。)

中国磁器は、金製や銀製より貴重なものとして扱われていました。磁器のことは「白い金」と呼ばれていたことから、どれほど重要視されていたかが分かると思います。何故なら、オスマン帝国では19世紀の終盤まで磁器を作ることができなかったからです。
そのため、中国製の磁器は壊れても修理して、大切に使われていました。使われない時には、金や宝石などをしまっておく場所で保管されていました。

宝石で飾られた磁器

 磁器のお椀の周りをルビーやエメラルドや金で装飾し、スルタンなどに贈呈されました。中国製の磁器は、15700ものコレクションとして残されています。(写真は『Türk Mütfağı』という本の293頁から引用しました。Arif Bilgin, Özge Samancı,'Türk Mütfağı'

中国以外の場所で、一番多くのコレクションをこのトプカプ宮殿が持っています。




銘々が大皿から食べる
展示物には、いろんな大きさの中国磁器が展示されています。 19世紀後半まで、宮廷での食事には、ヨーロッパスタイルの食器のセットではなく、和食のようにいろいろな種類の食器を使っていました。そして、一人一人の取り皿はなく、大皿にもられたものをスプーンで銘々がすくって食べていました。(写真は同上の本の8頁から引用しました

磁器の裏側には、どのスルタンが使っていたか、どんな料理に使われたかが書かれているものもあります。例えば、あるお皿にはチキンケバブと書かれています。チキンは高価なものでしたので、宮殿で一番使われていました。

また、その磁器の形によって、ジャム用、コンポスト用、ピラフ用、スープ用やおかず用などと、それぞれに名前がついていて、そこから何に使われていたのかが分かります。

食事の前には、アペタイザーとして塩気のものか、甘味のものか、酸っぱいものが磁器の小さい器に入れられて出されていました。 オリーブか、ナツメヤシかお漬け物だったようです。

中国製の磁器は、大変貴重で大切なものだったので、その器で給仕されるということは、相手を最上級扱いするという意味になります。そのためスルタンには、磁器で給仕されていました。そして、大宰相や外国の大使などにも磁器が使われていました。

左の頁の両端は青磁の水筒とお皿
中国製の磁器には、セラドン(seladon)と呼ばれる青磁があります。(写真は同上の本の294頁から引用しました

中国では、青磁器は毒が入ると、変色したりひびが入ったり、割れたりするという言い伝えあり、それがトプカプ宮殿にも伝わっていました。器に変化があった場所で、毒が盛られたことになるため、そんなはかりごとをさせないようにとの作り話だとも言われています。この青磁は、宮殿に2000以上ものコレクションとして残っています。

しかし、時代とともにこの中国磁器の人気がなくなり始めます。17世紀には、オランダの東インド会社を通して、日本の有田焼が宮廷に入るようになります。船で伊万里から出島、そしてオランダへと運ばれたことから、有田焼は「伊万里」と呼ばれていました。

それに対して、中国は今度、伊万里焼きをコピーして磁器を作り始めます。トルコ語ではこれを、Çin İmarisi(中国の伊万里)と呼びました。中国はオスマン側が喜ぶようにと、オスマントルコ語やコーランを書いたものも作り始めました。

1710年には、ドイツで磁器の質に近づいたものが作られるようになりました。そのためその後は、中国からではなくドイツ、 そしてフランス、オーストリア、ハンガリー、ロシア、イタリアから磁器の輸入を続けました。

18世紀後半から19世紀後半にかけて、ヨーロッパの国々から食器のセットがスルタンに進呈され始めます。1774年に、先ずポーランドから最初のヨーロッパスタンダードの磁器の食器セットが送られてきました。その食器にはスルタンを誉め称える詩が書かれていました。しかし、食器セットとはいえ、まだ完全なヨーロッパスタイルにはなっていませんでした。中央に大皿を置いて皆で食べるスタイルに応じて作られていました。その後は、フランス、ドイツなどヨーロッパ各地から、次々に食器セットが送られてきました。

ハーレムの女性たちも磁器を購入していて、自分たちで使ったり、自分の名前を書いて寄付していました。その金額が莫大になるので節約のために、ユルドゥズ 宮殿の庭にポルセレン工場を作り、1894年に磁器がイスタンブルで作られ始め、裏にはマイセンの印を思わせるような刻印が押されていました。

イスタンブルを陥落させたメフメット2世が「スルタンは一人で食事をとる」と、勅令に成文化したスルタンの食事のスタイルも、時代とともに変化していきます。響宴の際には、スルタンも客人たちと同じテーブルで食事をするようになり、外国からの客人には、フランス・スタイルのテーブルセッティングが施され、洋風とオスマン風の料理が出されました。それが、断食月になると、全てがトルコ風に戻ってしまうのですが…。イスラムに関する行事意外、外国の大事なゲストにはサラダ皿、ディナー皿、パン皿などが揃っているヨーロッパスタイルのセット食器が使われるようになりました。

このようにして、オスマン時代に使われていた磁器は、16世紀から20世紀にかけて、時代が進むとともに、アジアからヨーロッパ・スタイルへと少しずつ変化していきました。オスマン帝国だと誇りに思っていても、ライフスタイルにはヨーロッパ文化を取り入れるのが興味深いです。