2017年4月24日月曜日

ご存知トルココーヒーのうんちく〜その2・作り方、飲み方の作法について〜

トルココーヒーの作り方を説明したいと思います。
私たちが普段飲んでいるフィルターコーヒーの作り方とは全く違います。先 ずトルココーヒーは、粉上に挽かれたコーヒー豆を使います。そして、飲むカップで水をはかり専用の片手鍋のような容器に注ぎ、その上に、この粉上のコー ヒーをスプーン山盛りで好きなだけいれます。弱火にかけ、沸騰するまで待ちます。沸騰すると泡立ってくるので、吹きこぼれないように、この泡をすくいカッ プに入れます。これを数回繰り返し、最後に残ったコーヒーを注ぎ入れます。トルココーヒーを上手に入れられるかどうかは、この泡がたくさんあるかどうかで きまります。

飲む時には、先ず粉がカップの下に沈むのを待ち、上澄みを少しずつ飲みます。外では甘さを好きなように選べます。ブラック、微量、中ぐらい、そして多目。細やかなサービスだと思いませんか。
私のカップコレクション
こ のコーヒーは、日本の結納式にあたるクズイステメ(kız isteme)の儀式には、なくてはならないものです。男性側が女性側を訪問し、その時に、花嫁になる女性がトルココーヒーを入れ、全員にサーブします。 これは、先ずコーヒーが上手に作れるかどうかのチェックです。しかし、新郎になる男性のコーヒーには、砂糖ではなく塩をたっぷり入れます。それを顔色一つ 変えずに、新郎は飲まなければなりません。これは、新郎が少しのことにも動じないかどうかのチェックです。私の夫は、日本人ですが、トルコでこの儀式をし ました。夫のコーヒーには、友人が塩だけでなく、唐辛子もどっさりと入れてしまいました。しかし夫は、このコーヒーを「こんな味なんだな」と思い飲み干し てしまったので、めでたくチェックは合格となりました。昔は、見合い結婚が多かったため、初めて女性側にやってきた新郎候補を気に入ると、砂糖を入れ、気 に入らなかったら塩を入れたと言われています。

友人のお母さんは、朝起きたら先ずトルココーヒーを飲みます。飲まな いと頭が痛くなるらしいです。一緒にヨーロッパに旅行した時には、マイカップとトルココーヒーを作るための専用の湯沸かし器を持参していたほどです。毎朝 ホテルの部屋で作り、カップとタバコを一本持って、わざわざホテルの外へ出て、飲みに行っていました。

私は、住んで いたイスタンブルのアパートの上の階の女性に、よくコーヒーを飲みにおいでと誘われていました。飲み終わると、カップをソーサーの上にひっくり返し、冷め てからその中に残っている、コーヒー粉の模様で占いをしてくれていました。

街には、占い付きでコーヒーを飲める店もあります。友人は、結構高いお金を払 い、占ってもらいに行っていました。今ではFBで、その写真を撮って送ると占ってもらえるアプリもあるようです。古今東西、いつの時代になっても占いは根 強い人気がありますね。

ご存知トルココーヒーのうんちく〜その1・ヨーロッパに先行するカフヴェの歴史〜

                                                                                         

 トルコでは、個人商店などに買い物に行ったり、友人の職場を訪ねたりすると、よく「お茶がいい?それともコーヒーがいい?」と聞かれ、ご馳走になることが多いです。トルコでは、チャイと言われる紅茶と、このトルココーヒーは日常生活に欠かせないものです。

エチオピアで飲まれていたコーヒーがアラビア半島に渡り、それがエジプトに入りトルコ食文化にとって不可欠になったのは、16世紀中頃で、さほど昔のことではありません。オスマン朝第10代スレイマン大帝の時代です。

『スルタンの台所〜15,16世紀のオスマン宮廷料理』(Stefanos Yerasimos 'Sultan Sofraları〜15. ve 16. Yüzyılda Osman Saray Mutfağı')という本によると、1554年にイスタンブルで最初のコーヒーを飲ませるカフェ(カフヴェ:kahve/kahvehane)がオープンしたそうです。しかし、宮廷に17世紀初頭の台所仕入帳にもまだ見当たらなかったようです。17世紀中頃になり、宮廷ではコーヒーを入れる専門家である、カフヴェジ(kahveci)が登場します。

ここで、このコーヒーハウスのカフヴェについて、少しお話したいと思います。先ほどの話から、このカフヴェはヨーロッパのカフェにはるかに先行していたことが分かりますね。コーヒーもカフェもオスマン帝国からヨーロッパに入っていきました。『食文化〜その歴史を通して』(Murat BELGE "Yemek Kültür~tarih boyunca")という本には、ヨーロッパにコーヒー文化が広がったのは、オスマン軍が第二次ウィーン包囲に失敗した後の、テントの中に残っていたコーヒーが元になったと伝えられていると、書かれています。

さて、このカフヴェの広がりとともに、町内ごとにカフヴェができ、男性の集う社交場としてその地位が確立されていきます。イスタンブルのような大都市には、それぞれ特徴のあるカフヴェができました。私の専門的に研究して来たトルコの講談や落語と呼ばれている一人話芸のメッダー(meddah)が、メッダー噺を演じるカフヴェもありました。

2017年4月17日月曜日

アニスが香るトルコのお酒ラクはライオンのミルクとも呼ばれる〜水を入れると乳白色に変化




















 

イスラム教が国教だったオスマン帝国から、政教分離のトルコ共和国になり、現代のトルコで飲酒は御法度ではありません。
トルコのラクは、ブドウから作られアルコール度数は45度前後の非常に強い蒸留酒です。そのままだと無色透明なのですが、水を入れるとカルピスのように乳白色になります。ラクに使われているアニスが白濁させると言われています。この色からライオンのミルクとも呼ばれています。

『食文化〜その歴史を通して』(Murat BELGE "Yemek Kültür~tarih boyunca")という本によると以前は、ワイングラスのような脚のついたグラスで飲まれていたそうです。ストレートで飲むのに適していたのでしょう。しかし、今日では、氷や水を入れて飲むので、上の写真のようなグラスで飲まれています。 

このラク用のグラスに、先ず、氷を入れそこにラクを注いで飲むのが正しいという人もいれば、いやラクが先で、そこに水と氷を入れるのが正統だと言う人などもいて、それぞれに好みやこだわりがあるようです。

ラクは、ケバブや魚料理と一緒に好まれますが、やはり一番のお相手は豊富な前菜です。中でも特に、白チーズ(beyaz paynir:日本ではこれをギリシャのフェタチーズと呼んでいます)とメロンまたはスイカを添えた前菜は必須です。そして、同じく欠かせないのは、友人たちとの語らいです。ラクの宴会(rakı alemi, rakı meclisi)というような言葉もあるほど、ラクは前菜を前に友と語り合いながら、ゆっくりゆっくりと何時間もかけて楽しむものです。トルコ語にはアラビア語源のサキ(saki)という言葉があり、これは、宴会などの酒の席で、お酒をサーブする人のことを言います。このような言葉が残っていることから思えば、お酒が禁止されていた頃から酒宴はあったようですね。

私はお酒が好きですが、このラクだけは、アニスの香りとその甘さにどうしても馴染めませんでした。そこでラク好きのトルコの友人から、どうすればラクをもっと美味しく飲めるかについて教えてもらいました。それによれば、
先ず、口に物が入っているときには、ラクを飲まない。
ラクは、少しずつ口にいれ、すぐに喉へと流し込む。口の中に溜めておかない。
ラクを飲んだらすぐに、ヨーグルトやチーズなどの乳製品を食べる。
この規則を守りましたが・・・
やっぱり私は、同じブドウから作るならワインの方がいいですね。





  

2017年4月9日日曜日

水餃子やラビオリに似た庶民の味マントゥ〜皇帝メフメット2世も愛した


マントゥは水餃子やラビオリに似た料理です。小麦をこねてつくった生地に羊のミンチを一つ一つ包み、茹でたものにニンニクヨーグルトとトマトペーストのソースや溶かしバターをかけます。その上にお好みでドライミント、唐辛子、紫蘇ににたスマックという香辛料などをかけることもあります。茹でたスープと一緒に食べる地方もあります。トルコで一番有名なのは、カイセリという街のマントゥで、どうやったら作れるのかと思うほど小さく、一つが小指の第一関節ほどの大きさです。全く気が遠くなるような作業だと思います。作るのは大変ですが、美味しいのであっという間に食べてしまいます。

中央アジアからアナトリア、コーカサス地域 や中国のウイグル自治区にもあり、それぞれに大きさや調理の方法が違います。

『スルタンの台所〜15,16世紀のオスマン宮廷料理』(Stefanos Yerasimos 'Sultan Sofraları〜15. ve 16. Yüzyılda Osman Saray Mutfağı')という本によると、このマントゥは、1453年にイスタンブルを征服(「征服」か「陥落」かについての思いは、また別枠にて)したオスマン朝7代メフメット2世の食卓にも上がっていました。当時のスルタンの食事は、朝と夕刻の2食だったそうです。重きは朝食に置かれていましたが、メフメット2世の食事はシンプル且つあまり変化のない均一的な内容でした。

1496年6月の宮廷台所仕入帳に、2日以外の朝食には毎朝、このマントゥの名前が出ています。そしてイタリアではメインの前にパスタが出るように、オスマンの宮廷でもマントゥはメインの前に出されていました。

マントゥがなかった1日には、メインに魚料理があったそうです。マントゥにヨーグルトソースがかかっていたからだと思います。トルコでは魚と一緒にヨーグルトは食べ合わせが悪いと言いわれ、一緒に食されません。この頃からの風習なのですね。

上の写真は、トルコでお呼ばれして頂いた自家製のマントゥです。マントゥは、シェルベットと言われる甘い果物のシロップ水(冷たいデザートとして私たちが知っているシャーベットは、イスラム圏の甘いシロップ水であるシェルベットが始まり)と一緒に頂くそうです。アルコールはお預けです。 

写真2は、日本でどうしても食べたくなり、餃子の皮で作ったマントゥです。


2017年4月6日木曜日

濁酒風でもノンアルの冬の飲み物ボザ〜炒ったひよこ豆とシナモンを振り掛けて



もう桜が咲き始め春になろうとしていますが、寒い冬の夜、日本の夜鳴き蕎麦のように、私の住んでいたイスタンブルの住宅街には、「ボ〜ザァ〜!!」と言いながら上の写真の飲み物を売りに来ていました。カップを渡すと、そこへなみなみとボザを入れてくれます。

どこか濁酒に似た味で、少し酸味があり甘いです。甘酒のような感覚でしょうか。
これにシナモンと炒ったひよこ豆を乗せて、飲むというよりスプーンですくって、食べるという感じです。

スーパーなどでも売っていますが、上の写真のヴェファボザ店で飲むボザは、格別です。この店には、トルコ共和国建国の父、ムスタファ・ケマルパシャも来店したそうです。キビを発酵させて作るので、スーパーで買ったボトルの中でも発酵が進み、時々破裂することもありました。発酵し、また冷所で保管しなければならないため冬の間だけ売られています。

16世紀の中頃にトルコにコーヒーが入ってくるまでは、コーヒー替わりの嗜好品として飲まれていました。昔は少しのアルコールが入っていたそうですが、現在はノンアルコールです。オルハン・パムク『僕の違和感』(Orhan PAMUK ”Kafamda Bir Tuhaflık”)の主人公は、このボザ売りです。

2017年4月5日水曜日

一番恋しいのはトルコの朝ご飯

日本に完全帰国し、何が恋しいかと聞かれると先ず「トルコの朝ご飯!!」と答えます。
色んなチーズ、ジャムやママレード、蜂蜜、オリーブ、卵料理、トマトとキュウリ、焼きたてのパン・・・
週末にはちょっとリッチなブランチに友人を招きます。
上の写真は、去年2016年7月16日土曜日の朝ご飯です。そう、あのクーデター未遂の次の日です。外出禁止令が出ているにもかかわらず、泊まっていた友人宅に「さすがに道路は空いてたよ」と言って集まってきました。この日には、古いパンを卵掖に浸し揚げたフレンチトーストもどきのトルコ人大好きなパンもありました。やっぱり美味しい物には勝てませんね。

ブログを始めるにあたって

初めまして。
今回トルコ料理の世界についてのブログを始めることにしました。
トルコ在住中、地方色豊かなトルコ料理に魅了されました。またオスマン帝国時代の料理と現代トルコ料理の違いにも驚いています。このようなトルコ料理の多様性をお届けできたらと思っています。
どうぞ宜しくお願いいたします。