2024年9月15日日曜日

4年半ぶりのトルコ〜空港で続くハプニング〜

            イスタンブルからエディルネへ

イスタンブルで開催される防災サミットに招聘されて、コロナ禍以来4年半ぶりにトルコに戻ることがでしました。

久しぶりのトルコで、トルコの新しい空港にもあまり馴染みがなかったこともあり、なんだか海外旅行に行くように、少し緊張していました。(実際、海外旅行てすが…苦笑)

予定より1時間ぐらい早く、飛行機はイスタンブルに着きました。
友人か迎えに来てくれることになっていて、空港のWi-Fiに接続し、連絡を取り合う段取りでした。

が、しかし、ここからがハプニング続きで…

空港のWi-Fiは、パスポートコントロールの前にある機械で、パスポートを読み取らせ、出て来たパスワードを入れます。無事Wi-Fiに接続でき喜んでいたところ、LINEもメールもWhatsAppにも送れません。

私の携帯の設定が悪いのかもと、データローミングをオンにしたり、オフにしたり、色んなことを試しましたが、何を何度しても連絡できなせん。時間だけが過ぎていって・・・

とりあえず、パスポートコントロールを通過することにしました。外国人はあっち👉と言われ、列に並びましたが、ボーディングパスを読み取らせるものの、全く反応せず、別の列に並んでまた同じことをしても、反応せず…ボーディングパスを読み取らせるのは、なんだか変?
あっと、気がつきました。トランスファーの列だったことに。慌てて、引き返したところ、後ろから、誰か呼んでいるような…、ふと見ると、手にしているコロコロの上においていたカバンが、ありません。並んでいた列のところに落ちていました。💦

やっとパスポートコントロールを終えて、ターンテーブルの番号を見るために、掲示板で確認したところ、来た便名も番号もない!何度見てもない…終わってる番号には「終了」と記載されているのち、大阪便はない。💦

またまた焦って係のお兄さんに尋ねると、機械で確認してくれ、もうかなり以前に終わっているので、表示も消えていると教えてくれました。教えてくれた番号の場所を見に行くと、ターンテーブルは止まっていて、ポツンと2つだけ、私の荷物が置かれていました。Wi-Fiと、パスポートコントロールで、時間が取られ、すっかり前に終わっていたようです。

思わぬハプニング続きで、友人と無事会えるのかと、かなり不安がありましたが、事前に打ち合わせした通り、出たところで待っていてくれた友人の顔を見てほっとしました。友人と再会してた後でもやはり、何をどうしてもネットには繋がらず、最後に友人のスマホからテザリングしてもらい、やっと日本に連絡することがでしました。やれやれ😮‍💨 トルコ語ができなかったら、きっと途方にくれていたことでしょう。

今回の全てのハプニングが最初に全部終わったことを祈りつつ、トルコ滞在のスタートです!

2024年8月10日土曜日

トルコ料理を食べて能登地震支援の会(2024年8月9日)

 いつもお世話になっている神戸市長田区にある「たかとりコミュニティセンター」内に、みんなの居場所である毎週金曜日16時から19時までだけオープンしている「ネネバー」という名前のバーがあります。そこで以前よりリクエストがあった「トルコ料理を食べる会」をすることにしました。

 ここに集まる皆さんの多くは、去年の9月に「トルコ風炊き出しを食べてトルコ・シリア地震支援」イベントにご協力いただいた方々です。

 今回は、トルコ料理を試食していただくことで、それがまだ復興もままならない能登地震の支援に少しでもなればと思い、企画しました。おかげさまで、多くの方がご参加してくださり「楽しかった!」「初めて食べたけど、美味しい!」「トルコで食べたより美味しかった」など、嬉しいコメントをたくさんいただきました。

 
 メニューは「炭火で焼いたナスのサラダ、ディルとクルミが入ったズッキーニの冷菜、コーカサスチキン、カッテージチーズの冷菜、炭火で焼いたパプリカのマリネ、モロッコインゲンのトマト煮込み、トルコからのオリーブ、パン 」でした。

 たくさんの人に、トルコ料理の美味しさが伝わり、それが能登地震の支援にもつなげられたので、とても嬉しく思いました。京都や大阪から来てくださった知人、友人の皆さん、合宿前なのに参加してくれた甥にも感謝です。

集まった募金は23500円でした。皆様、ご協力ありがとうございました!CODE海外災害援助市民センターの事務所が開いている火曜日に、FMわぃわぃの金千秋さん届けてくださいます。

 これからも私にできるやり方で、トルコ料理を通して地震の支援を続けて行きたいと思います。 今度とも、どうぞよろしくお願い致します。

2024年2月14日水曜日

バレンタインデーにトルコのお菓子プディング〜トルコのプリンはクリーム状〜


  今日はバレンタインデーですね。日本では、女性が男性にチョコを贈るということになっていますが、トルコでは「恋人たちの日」なので男女ともにプレゼントを送り合います。

 アジアの他の国でも、ネパールやベトナム、バングラデシュなどは男女ともにチョコレートやプレゼントや花を送り合うそうです。スリランカでは、男性は女性にチョコレートと金(ゴールド)を贈ると聞いて驚きました。 

 今日、バレンタインデーにトルコ在住時によく作っていたÇikolatalı Puding(チョコレートプディング)にビスケットを入れたデザートを作りました。


     日本でプリンというとカラメルプリンのことですが、トルコではプディングと言い、クリーム状のデザートです。そのまま冷やして食べたり、今回作ったように間にビスケットを入れて層にし、冷やしていただきます。ビスケットが柔らかくなりケーキのようで美味しいです。牛乳で作り、バターやオイルも入っていないので軽いデザートです。カスタードクリームのチョコレートバージョンのようなものだといえば、想像していただけると思います。

  お隣さんにも、お裾分けをしました。実は最近、お隣さんと行き来するようになり、イスタンブル時代を懐かしく思い出して、嬉しく思っています。私が住んでいたアパートでは、ご近所付き合いが盛んで、まるで長屋を縦にしたような感じでした。「ちょっと卵ある?」とか「たくさん作ったから食べて」などのお裾分けは日常茶飯事でした。

        博論の締め切り間際には、食事を作る時間もなかったので、上の階のお母さんが作った晩御飯を、まだ小学生だった娘さんが毎日のように運んでくれました。そのおかげで餓死せず、無事書き終えることができました。懐かしい話です・・・

  話が逸れてしまいましたね。

では、皆さん、Sevgililer gününüz kutlu olsun!   Happy Valentine's Day!

2023年10月12日木曜日

「トルコ風炊き出し体験」を通してトルコ・シリア地震支援イベントをしました。(2023/9/29)


今年の2月にトルコとシリアで起こった地震は、その後、次々に起こる災害や争いのため、数ヶ月でもう彼方に忘れ去られています。被災地では、次にやってくる冬に向けての準備も整っていなく不安の中、支援を待つ多くの被災者たちが残っています。

トルコの地震を思い出してもらうため、一体私に何ができるのか・・・と、ずっと考えていました。そこで、1999年11月のトルコで起きた地震の震源地で被災した時に、地震の数時間後にパンの山を見たことを思い出しました。何台ものトラックの荷台に、山積みにされて運ばれて行ったパンの山。「トルコの人にとって、なくてはならないのはパンなんだ」「パンがあれば安心できるんだ」と、その時思いました。そして、非常時の炊き出しが、頭に浮かびました。

日本での炊き出しの定番は「おにぎりと豚汁」ですが、それがトルコでは「パンとスープ」に当たります。そこで、トルコ風の炊き出しを体験することで、日本の人にトルコの被災者のことを思い出してもらいたくて、この企画を考えました。

そのことを以前から関わっていた、神戸市長田区にあるFMわぃわぃの金さんに相談したところ、二つ返事で「やろう」と、声をあげてくれました。そして、1995年の阪神淡路大震災で被災したパン屋さんの、くららべーかりーさんを紹介してくださり、トルコのパン、エクメックを焼いてもらうことができました。このように、この企画は、多くの人の協力があったからこそ、実現できたことでした。みなさんの、心がトルコ地震支援に向けて、ひとつになった結果だと思っています。

ご協力くださった皆様、ご参加してくださった皆様、本当にありがとうございました!

今回のイベントに引き続き、トルコの「食」を通して、私にできる形で支援をし続けます!これからも、皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

2023年9月11日月曜日

トルコ・シリア地震支援プロジェクト〜トルコの炊き出しを食べる〜

まず最初に、モロッコで大きな地震が起こり、リビアでも大洪水が起こりました。お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方の一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

世界の各地で災害が続いています。

トルコでは、今年の2月6日にシリア国境付近のトルコ南東部でマグニチュード7.7の大きな地震が起きました。被害は10もの県に及びました。支援や復旧作業には、当初から大きな差が出ています。そして、地震の数ヶ月後には、トルコでも被災地以外では、もう他人事のように思っていると被災者たちは嘆いています。

  阪神淡路大震災を経験している私たちは、復興にどれだけの時間がかかるのかを経験しました。そして、起こった災害について「忘れてはいけない」ことも知っています。だから、私たちは、このトルコ・シリア地震を忘れずに、支援し続けたいと思っています。皆様、どうぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。

お誘い合わせの上、皆様のご参加をお待ちしております!






2023年8月19日土曜日

野菜が美味しいと作りたくなるトルコ料理〜久しぶりのトルコ料理パーティー〜

 

北信の山小屋に来ています。夜になると大群の羽アリが出たり、お風呂に変な虫が入っていたりして大騒ぎしますが、それでも野菜がとても新鮮で美味しいので「やっぱり来てよかった」と思います。

去年偶然に、野菜作りを専門にしている方と知り合いになり、今年も、畑まで野菜を買いに行きました。畑で直接見て、好きな野菜を選び買える贅沢なこと!ツヤツヤな白茄子、水茄子、丸茄子を見ると、あれもこれもと欲しくなり、頭の中では「どんな料理にしようかな・・・」と、考え始めます。そして、気がつけばカゴの中はいっぱいに・・・

コロナ禍も落ち着き、やっとみんなで集まることができるようになったので、久しぶりにトルコ料理パーティをしました。


 メニューは野菜のオンパレード!

Gavurdağı Salatası(ギャヴルダーサラダ),  Patılcan Salatası(茄子のサラダ), Semizotu Salatası(スベリヒユのサラダ), Kabak Tarator(ズッキーニの水切りヨーグルト合え) Lor Peynir Kavurması(カッテージチーズソテー), İmam Bayırdığı(お坊さんの気絶), Helim Peynir(へリムチーズ) ve Yeşil Zeytin(グリーンオリーブ), Tavuk Şiş(チキンケバブ), Yalancı Ekmek Kadayıfı(エクメックカダイフもどき)

上の左から、茄子のサラダ、ズッキーニの水切りヨーグルト合え、スベリヒユのサラダ、下の左から、カッテージチーズソテー、お坊さんの気絶、ギャヴルダーサラダ

前日から漬け込んでおくだけで簡単にできるチキンケバブ

キャラメル好きにはたまらないエクメックカダイフもどき

たくさんあるように見えますが、野菜中心なのでお腹にやさしい料理ばかりです。「どれも美味しい!」と、みなさんとても喜んでくれました。いつも作りすぎてしまい、今回も残るかもしれないと思っていましたが、きれいになくなりました。「美味しい」という言葉を聞くと、嬉しくて疲れなんて吹き飛びますね。

今回の料理のいくつかは、動画でレシピをアップしていますので、是非作ってみてください。

Patılcan Salatası(茄子のサラダ)とTavuk Şiş(チキンケバブ)の作り方はこちら

2023年6月10日土曜日

トルコ地震の支援活動がトルコの新聞に掲載〜阪神・淡路大震災を経験した私たちにできること〜


2023年5月20日のAkşam新聞に掲載

以前、インタビューされていたトルコ地震への支援活動がトルコの新聞に掲載されました。

https://m.aksam.com.tr/cumartesi/japonya-depremzedelerin-kader-ortagi/haber-1368192(←こちらからもご覧いだだけます)

私が伝えたこととは違っている箇所もありますが、以下は、その日本語訳です。

運命がむすぶトルコと日本の被災者の友情
 
1995年に神戸を震撼させた震度6.9の地震を経験した日本には、トルコと友情で結ばれた人たちがいる。彼らは、カフラマンマラシュの地震後、トルコでの被災者のために、多くの被支援活動を行った。この支援活動のいくつかに関わった研究者の井藤聖子は、Akşam Cumartesiに、それらの活動について語った。
 
大統領選のため、被災者たちの多くが、自分たちのことは忘れられてしまったと考えた。しかし、政府による仮設住宅の建設計画が進められる一方、非政府組織やボランティア団体は、震災直後と同じ頻度とはいかないまでも、支援活動を続けている。世界各国でも、支援のキャンペーン活動は続けられている。イスタンブル大学でトルコ口頭伝承文芸を専攻し、シェイマ・ギュンギョル教授の指導のもとで博士号を取得し、日本に帰国した研究者である井藤聖子も、トルコに心を寄せるその一人だ。

井藤は、トルコでの地震を知るとすぐにトルコの友人に連絡を取り、被災者のために何かできることはないかと思い、行動を起こした。井藤は、日本で行ったボランティア活動について、Akşam Cumartesiに語った。

トルコと強い絆をもつ井藤は、地震発生を知るとすぐ、現地での救援活動の状況をフォローし、地震の規模や被災状況をテレビやラジオなど日本のメディアで伝えた。
「阪神・淡路大震災の被災者だった私は、今でもトラウマを抱えています。そのため、地震の被害を聞いたり、見たりするのはとても辛いことです。でも、トルコ地震のことを正しく伝えなければいけないと思います」と語る井藤は、友人のミュージシャン、菊池慶がトルコの地震被害者のためのチャリティーコンサートを開催するなど、さまざまな支援活動について紹介した。菊池も井藤と同様に、日本を震撼させた阪神・淡路大震災を経験した一人。菊池は地震や災害などの被災者支援のために、多くのチャリティーコンサートを開催している。そのため、トルコの地震を知ったとき、すぐに行動を開始した。東京でもチャリティーコンサートを開催し、その収益金を京都の日土協会に届けたと、井藤は話した。

また、井藤は、日本の小さな町の学校に学ぶ子どもたちがトルコの被災者に向けて書いた、たくさんのお見舞いのメッセージをトルコ語に翻訳した。
 
日本人に深い爪痕を残した阪神・淡路大震災の後、被災地の神戸で作られた鎮魂歌が、毎年1月17日の追悼式で歌われていると井藤は話す。その歌詞を井藤はトルコ語に訳し、同じ痛みを抱くトルコの被災地の友人たちに歌い、その思いは伝えられたと語る。

井藤聖子は、日本全国でトルコへの支援活動が行われていることを紹介し、1995年の大震災の後に、神戸で設立された地震調査・救援団体CODEの吉椿雅道事務局長と学生インターンが地震後にトルコに入り、2月11日から17日まで地震被災地に滞在していたことも伝えた。吉椿は、ガジアンテプ、ヌルダ、カフラマンマラシュ、アドゥヤマンで地震被災者を支援し、地震で建物がどのように損傷したかの調査も行った。また、彼には、ネヴシェヒル大学の日本語教師とその生徒2名が同行した。吉椿は帰国後、トルコで見たことを日本のラジオ番組で報告している。